くまざわ‐てんのう〔くまざはテンワウ〕【熊沢天皇】
熊沢寛道
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熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年〈明治22年〉12月18日 - 1966年〈昭和41年〉6月11日[1])は日本の皇位僭称者。大延天皇、また熊沢天皇(くまざわてんのう)の呼称で知られる。
- ^ a b c d e f 「熊沢寛道」『20世紀日本人名事典』
- ^ 日本史の虛像と実像、p.390
- ^ 秦の説に拠れば、「小学校卒業後、上京。正則中学校に通いつつ浄土宗の寺で修行したとあり、神戸で布教僧をしたためか話術に長け、筆も達筆」だったとする(秦郁彦 編『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会、2002年(平成14年)) ISBN 4-13-030120-9)。
- ^ 文藝春秋, 第 65 巻、p.79
- ^ 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』第4巻(吉川弘文館、1984年(昭和59年)) ISBN 4-642-00504-8 865頁〔佐藤昌三執筆〕
- ^ この「南朝奉戴国民同盟」には、外村天皇こと外村光陽も理論武装する為に参加している。
- ^ 長山靖生「竹内文献創作の起源と増幅」『別冊歴史読本 古史古伝と偽書の謎』(新人物往来社、2004年(平成16年)) ISBN 4-404-03077-0 87頁
熊沢天皇
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南朝の熊沢天皇と名乗った熊沢寛道は、1947年(昭和22年)の選挙で、竹内文書が信雅王が伝承した品や宝物と一緒に盗まれたと言った。それは熊沢の支持者の吉田長蔵が福島県双葉郡葛尾村の光福寺(後に観福寺、南朝方の寺)から明治中期に虚無僧の斎藤慈教により盗まれ1920年(大正9年)に竹内巨麿が古物商から買い取ったと言ったことによる。
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