熊沢光子
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熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 1935年3月25日)は、戦前日本の社会運動家。大泉兼蔵のハウスキーパー (日本共産党)として日本共産党スパイ査問事件に巻き込まれ、逮捕後獄中自殺した。
- ^ a b c 『新・日本文壇史 5巻』川西政明、岩波書店、2011、p175
- ^ 山本秋『昭和米よこせ運動の記録」(白石書店、1976年)p239によれば、この年の名古屋矢場町でおこなわれた消費組合の演説会に参加したのがきっかけだったという。
- ^ a b c d e 『平野謙論』中山和子、筑摩書房、1948、p40-42
- ^ 共産青年同盟で活動した。
- ^ 立花隆『日本共産党の研究』講談社、1978年、下巻p.397
- ^ 『新・日本文壇史 5巻』川西政明、岩波書店、2011、p180
- ^ 立花隆『日本共産党の研究』講談社、1978年、下巻p.443-450
- ^ デジタル版 日本人名大辞典
- ^ 『平野謙論』中山和子、p50
- ^ 『新・日本文壇史 5巻』川西政明、岩波書店、2011、p182
- ^ 『大衆人事録 中部編』1940「前田哲治」
- ^ a b 追悼・熊沢光子熊沢誠
- ^ 『人事興信録 10版(昭和9年) 上』「桑木崇明」
- ^ 『幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合』p161
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