前衛 (1922年)
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『前衛』(ぜんえい)は、1922年(大正11年)1月、山川均らによって創刊された社会主義時事評論誌であり、のち第一次日本共産党の機関誌となった。戦前の共産党機関誌(紙)『赤旗』(せっき)の前身誌の一つである。
概要
日本社会主義同盟の解散(1921年5月)の前後から、山崎今朝弥より雑誌『社会主義研究』(1919年4月創刊)の発行を引き継いでいた山川均は、学術研究誌の体裁を採る同誌が新聞紙法の規程により時事評論を掲載することが出来なかったため、翌1922年1月、当局に保証金を納入し田所輝明・上田茂樹・西雅雄らとともに新しい時事評論誌として『前衛』を創刊した。
この雑誌の編集・発行に関わっていたのは前年8月頃から山川の周辺で活動を始めた「水曜会」のメンバーであったことから、『前衛』誌は同会の事実上の機関誌となった。また1922年7月頃、同会メンバーなどが参加して日本共産党(第一次共産党)が「創立」されると、『前衛』は同党の機関誌の一つとなった。この時期、『前衛』は、いわゆる「山川イズム」の理論を初めて唱道した山川均の論文「無産階級運動の方向転換」を掲載(1922年7・8月合併号)したことで広く知られるようになった。
1923年3月、『社会主義研究』『無産階級』など、他の共産党系社会主義雑誌とともに共産党機関誌『赤旗』(せっき)に統合され、14号で終刊となった。
関連文献
「前衛 (1922年)」の例文・使い方・用例・文例
- 駄目だよ。君、背が高いんだから前衛に来てくれないと。
- ほとんどの人には前衛的すぎるって聞いたわ。
- 前衛映画.
- 彼を前衛画家とよぶのは当たらない.
- テニスの前衛
- テニスの前衛をする
- 前衛的な劇場作品
- 軍事編成または行列の前衛
- 前方に乗るエスコート(前衛の一人として)
- 米国の前衛的な音楽の作曲家(1912年−1992年)
- アバンギャルドという,最も前衛的な芸術
- アングラ演劇という,前衛的な演劇
- 前衛派という,第一次大戦後に起こった革新的な芸術運動
- 前衛派という,第一次大戦後に起こった芸術運動を実践した人々
- バレーなどのスポーツにおいて,前衛と後衛の間を連結する役
- バレーなどのスポーツにおいて,前衛と後衛の間を連結する競技者
- ラグビー,サッカー,ホッケーなどで,前衛の後方にいる競技者
- 前衛的出版物
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