前衛芸術・文学・音楽
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「マックス・ジャコブ」の記事における「前衛芸術・文学・音楽」の解説
1914年に第一次世界大戦が勃発。マックス・ジャコブは健康上の理由により入隊を拒否されたが、パリに留まり、動員された友人たちと頻繁に手紙のやり取りを続けた。1916年には骨董品蒐集家ジョゼフ・アルトゥニアンに捧げる詩を掲載した小冊子『連合国はアルメニアにいる』を発表した。アルトゥニアンはイズミルに生まれたアルメニア系トルコ人で、1908年にアルメニア人虐殺を逃れて渡仏。マックス・ジャコブだけでなく、他の「洗濯船」の芸術家、特にピカソ、アポリネール、モディリアーニと親しかった。ジョルジュ・クレマンソーを介してオーギュスト・ロダンと知り合い、ロダンからの依頼で主に古代エジプトの彫刻を蒐集し、現在もロダン美術館にその一部が展示されているが、2019年にアルトゥニアン・コレクション約400点(総額100万ユーロ)がすべてパリのアールキュリアル(フランス語版)で競売にかけられた。コレクションにはアルトゥニアンの肖像などモディリアーニの素描も数点含まれ、当時貧しかったモディリアーニから二束三文で買い取ったものであったが、1920年に亡くなったモディリアーニの代わりにマックス・ジャコブが「モディリアーニが1917年に描いたアルトゥニアンの肖像であることを証明する」と、制作の現場に立ち会った者として証言していた。マックス・ジャコブの詩集『連合国はアルメニアにいる』は洗礼名キプリアヌスのCを加えた「C・マックス・ジャコブ」の筆名で「アルメニアへのオマージュ」として制作されたものであり、非売品であったが、1922年に新フランス評論(NRF)出版社から刊行されたマリー・ローランサンの版画作品集『扇子』に再収され、初めて公表されることになった。この作品集にはロジェ・アラール(フランス語版)、アンドレ・ブルトン、フランシス・カルコの詩も掲載された。 戦時中とはいえ、パリでは前衛芸術運動が次々と起こっていた。マックス・ジャコブは1917年3月にアポリネール、ピエール・ルヴェルディとともに『南北』誌を創刊した。誌名は1910年にパリの2つの前衛芸術家・文学者の活動拠点モンマルトル(パリ北部、「洗濯船」)とモンパルナス(パリ南部、「ラ・リューシュ」)をつなぐ地下鉄が開通したことに因んで命名され、この2つの拠点をつなぐことを意図したものであった。発行部数は100~200部と少なかったが、1917年3月15日から1918年10月まで計16号刊行され、当初はキュビスムの雑誌、次いでダダイスム、さらにシュルレアリスムの先駆けとされる前衛芸術・文学雑誌であった。マックス・ジャコブは毎回、詩や短編を掲載した。「十字架にかけられた者の5つ目の傷口とニーチェの『悲劇的な知』」、「心理的意識と十字架にかけられた者の5つ目の傷口」、「演劇と映画」など詩的な表現による論考も発表している。『南北』誌にはダダイスム、シュルレアリスムの運動を牽引することになるアンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、トリスタン・ツァラも寄稿していたが、マックス・ジャコブは、1919年2月にブルトン、アラゴン、スーポーによって創刊され、ダダイスムの機関誌となった『リテラチュール(文学)』誌にも、《モナ・リザ》盗難の嫌疑をかけられたアポリネールを励まし支援するために、新しい活動の場として創刊された『レ・ソワレ・ドゥ・パリ』の第二シリーズ(アポリネールが主宰)にも寄稿するなど、多くの前衛芸術運動に関わっていた。 こうした活動を通じてマックス・ジャコブは多くの若手を発掘した。1919年にまだ16歳のレイモン・ラディゲの詩を評価し、ジャン・コクトーに紹介した(コクトーは1923年のラディゲの早世に深い精神的打撃を受けた)。絵画や文学だけでなく音楽でも、パリで活動を始めたジャズ・ミュージシャンを評価し、6人組(フランシス・プーランク、ジェルメーヌ・タイユフェール、ルイ・デュレ、ダリウス・ミヨー、アルテュール・オネゲル、ジョルジュ・オーリック)やピアニストのマルセル・メイエと夫で俳優のピエール・ベルタン(フランス語版)と親交を深め、戯曲、オペラ、オペラ・ブッフを制作するなど若い音楽家を支援した。1922年には作曲家ロラン=マニュエルのためにオペラ・ブッフ『イザベルとパンタロン』の台本(リブレット)を書き、18区の劇場トリアノン・リリック(現ル・トリアノン)で上演された。 1921年にパリの画廊でマックス・ジャコブのグワッシュを中心とする個展が行われた。また、大戦中に休刊となっていた『新フランス評論 (NRF)』誌が、1919年6月に新編集長ジャック・リヴィエールのもとで活動を再開し、同誌の寄稿者で後に編集長を務めることになるジャン・ポーランの仲介により、以後、マックス・ジャコブの著書は新フランス評論出版社(ガリマール出版社)から刊行されることになった。
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