libretto
librettoとは、東芝が販売するミニノートPCのブランドである。1996年4月に発売された「Libretto 20」を初代機とし、断続的に発表されている。
各モデルにおおむね共通する特徴として、モバイルPCの中でも特に小型クラスの製品であること、ディスプレイの右端に、リブポイントと呼ばれる入力デバイスが付いていること、発表当時の最先端の技術が搭載されていること、といった点を上げることができる。一般的なノートPCよりも小型のミニノートというジャンルに属する製品の先駆けとしても位置づけることができる。
東芝のノートPCの主要ブランド「dynabook」シリーズとは異なり、librettoは断続的に発表されている。最近のモデルを並べると、2002年の「Libretto L5」、2005年の「libretto U100」、2010年の「libretto W100」と、数年おきに発表されている。2010年6月に発表された「libretto W100」は、ノートPCとしては世界初となるデュアルディスプレイ搭載のモデルとなっている。
参照リンク
ミニノートPC librettoシリーズ - (東芝)
ノート型PC: | キーボードライト コンバーチブル型タブレットPC LaVie Libretto LaVie Light LaVie Light Luiモデル Lenovo LaVie Z |
リブレット
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:50 UTC 版)
リブレットを手掛けたヴァンローとデュヴァルのコンビは『ミシュ家の娘たち』でも共同作業を行っているが、本作にも魅力溢れる台本を提供している。 ブリュイールは「束の間の心の動き、はかない欲望、言葉に表れない告白、触れ合わない接吻、こうしたことは目立たない転調を伴って涙を誘うと言うところまでは行かなくても哀惜の情をそそるものであった。ヴェロニックは20歳である。音楽も彼女のように20歳である。その時までのオペレッタは恋の戯れに戯れていたのであったが、ヴェロニックと共にまじめに愛するようになったのである」と解説している。 ルシューズによれば「登場人物も単純明快で、それぞれに現実味があり、普遍的な感情を表現しているので、すぐに誰と分かるようになっており」、「この作品によってオペレッタは決して下品ではなく、センチメンタルで優しく、陽気な性格を帯びるようになった」ということである。
※この「リブレット」の解説は、「ヴェロニック」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ヴェロニック」の記事については、「ヴェロニック」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 05:24 UTC 版)
「ウィリアム・テル (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはシラーのスイスのウィリアム・テルの伝承を素材とした『ヴィルヘルム・テル』(1804年)を原作としてヴィクトール=ジョゼフ・エティエンヌ・ド・ジュイ(英語版)とイポリット=ルイ=フローラン・ビス(英語版)、の2人の共同によりフランス語で制作された。このほかにアルマン・マラ(英語版)とアドルフ・クレミューが協力したほか、ロッシーニ自身も携わった。原作との相違は原作ではルーデンツとベルタ嬢(いずれもスイス人の設定、オペラには登場しない)の恋愛は控え目に書かれているが、オペラではアルノールとマティルドの恋愛関係が重要な要素として設定されている。原作にはアルノールとマティルドは存在しない。また、第2幕の三重唱「彼らが奪い取った父の日を」ではシラーの戯曲をはっきりと逸脱する。戯曲ではメルクタールは目をつぶされるだけで惨殺されるわけではないし、またテルも純朴な行動の人と描かれており、リュトリの丘で開かれる様々な政治集会への参加も辞退するのである。
※この「リブレット」の解説は、「ウィリアム・テル (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ウィリアム・テル (オペラ)」の記事については、「ウィリアム・テル (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 14:48 UTC 版)
「シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)」の記事における「リブレット」の解説
台本(リブレット)はウジェーヌ・スクリーブとシャルル・デュヴェイリエ(Charles Duveyrier)による。使用した台本の原作は『アルバ公爵(英語版)』で、当初アレヴィのために書いたものだが、アレヴィはこれを使わなかったため、1839年にドニゼッティに作曲の依頼をする。しかしドニゼッティは作曲の途中に没したため、『アルバ公爵』は未完に終わってしまう。後にスクリーブが既存の台本を改訂し、そのままヴェルディのオペラに改訂版を使用した。ヴェルディは後年、このリブレットが「使い回し」のものであることを事前に教えてもらえなかったと言う非難めいた発言をし、これが絶対視されてきた。オペラ研究家の岸純信はこれについて「ヴェルディの記憶違いであるとする資料がある。1917年刊行のスクリーブの書簡集によると異なる内容が載っているのである。(中略)スクリーブが当時の共作者デュヴェイリエに宛てたこの長文はヴェルディに《シチリア》の台本を提供するに際し、最初から《アルバ公爵》を改訂したものと教えてあって、ヴェルディ側もそれを承知で作曲を進めたという事情を示している」と述べる。 1853年12月3日付の長文の手紙では、①題名を変えること、②主役を変更すること、③場所の設定を変えること、④第5幕全体を変えること、⑤ヴェルディが毎日細かな修正を要求してくることなどが記述されている。さらに岸純信は次のように指摘している。「ヴェルディの注文に応じてスクリーブは《シチリア》を大幅に書き直した。老境でも彼は彼なりに励んだ。このことは仏語オリジナルの楽譜と台本の原典(1979年にパリ・オペラ座から復刻出版)を見ればすぐにわかることである」。この結果、スクリーブは第5幕全体を変えることによって、政治暴動と家族の対立を背景とした愛と義務との間の葛藤において、『ユグノー教徒』での自らの偉業を再現した。つまり、フランス人を圧制者、暗殺者、放蕩者として描いている劇作品を外国人に音楽化させたのである。ヴェルディはと言えば、彼の好む「力に満ちた情景」を台本から見いだしていたのであって、場面設定などはそれほど重要視していなかった。
※この「リブレット」の解説は、「シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)」の記事については、「シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 09:49 UTC 版)
「オベロン (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレット(台本)の内容は『魔笛』さながらに錯綜しており、プランチェによる原作の英訳が良くないと批判されることも多い。このため、今日では上演の機会は少ない上、ドイツ語版により行われることが多い。ジョン・エリオット・ガーディナーはオリジナルの英語版を自ら再構築し、ナレーションを挿入した全曲録音を行っている。
※この「リブレット」の解説は、「オベロン (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「オベロン (オペラ)」の記事については、「オベロン (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 23:47 UTC 版)
リブレットはウジェーヌ・スクリーブ とエミール・デシャン(フランス語版)によってフランス語で作成されている。スクリーブは台本作者としては稀有のヒットメーカーであり、マイアベーアとは『悪魔のロベール』や『ユグノー教徒』でも手を組んだほか、アレヴィの『ユダヤの女』(1835年)やドニゼッティの『ラ・ファヴォリート』(1840年)、ヴェルディの『シチリアの晩鐘』(1855年)といった重要な作品のリブレットを手がけた作家である。原作はヴォルテールの『諸国民の風俗と精神について』(Essai sur les Moeurs et l'esprit de nations, 1756年)とジュール・ミシュレが編集した『ルター回想録』( les Mémoires de Luther, 1835年)およびカール・フランツ・ファン・デア・ヴェルデ(英語版)の小説『再洗礼派』(1826年、フランス語訳)である。スクリーブとマイアベーアはこのリブレット作成にあたって、当時のフランスの1848年に起こったフランス二月革命や欧州の政治状況を見定め、巧みに検閲による上演禁止を回避するよう内容を吟味している。つまり、民衆の貴族の圧制に対する蜂起という構図では検閲を通過できないと判断し、ジャンの恋人をオーベルタル伯爵によって奪われたことに対する個人的な復讐を中心に据えることで、政治色はほぼなくなると見込んだのである。これに宗教対立という歴史的事件の筋書きの中で展開することで、グランド・オペラとしての劇的展開も担保された。民衆の支持を得た偽の為政者が反乱を起こすというドラマはムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』を思い起こさせる。最も共感を持って描かれているフィデスはこのオペラの事実上の主人公で、ロマン派の性格のはっきりしないオペラが多い中では目立った個性を発揮している。フィデスはポンキエッリの『ラ・ジョコンダ』(La Gioconda, 1876年)のチェーカの先駆け的存在である。ヴェルディは『イル・トロヴァトーレ』(1853年)のアズチェーナを書くにあたってフィデスを意識していたと思われる。
※この「リブレット」の解説は、「預言者 (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「預言者 (オペラ)」の記事については、「預言者 (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 15:43 UTC 版)
アンリ・メイヤック(英語版)とリュドヴィク・アレヴィ(英語版)はオッフェンバック作品のリブレットを数多く担当したコンビで、他に『美しきエレーヌ』(1864年)、『青ひげ』(1866年)、『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)や『ラ・ペリコール』(1868年)、『盗賊』(1869年)でもリブレットを担当し、オッフェンバックと彼ら2人は名トリオとして一世を風靡した。アレヴィは本作のリブレットは「メイヤックとの共作の中で最も成功したと言い切っている」。『パリの生活』の5幕構成による初版は、ストーリー展開が複雑であった。ギャルドゥフーの部屋が舞台となる第4幕では、男爵夫人に想いを募らせるギャルドゥフーに対して、嫉妬に狂ったメテラとボビネの叔母によって頓挫する場面であるが、演劇的観点から注目するとこの場面は迫力に欠け、締まりがないので、アレヴィとオッフェンバックはこの余計なエピソードを削除することにしたのだった。これにより、二つの情事のうち一つが未解決のままになってしまうが、最終幕のメテラの一言によって、彼女がギャルドゥフーの男爵夫人に対する計画を失敗させたことがほのめかされる。この結果、『パリの生活』はオッフェンバックのオペラ・ブフの中でも長くもなく「穴」もない傑作とみなすことができるのである。アレヴィは「皇帝の外交政策を見るにつけ、彼は耐え難い苛立ちを覚えた。彼に言わせれば、皇帝の政策は取り返しのつかない戦争への道を歩んでいたのである」、「不安、、、有罪宣告された文明は常に快楽におぼれ、不安を忘れようとする。それをアレヴィは見極めていた。オッフェンバックと共に彼は一つの時代が終わり、ある支配が終焉する時の雰囲気、『パリの生活』の雰囲気を誰よりも敏感に嗅ぎ取って」おり、これを作品に盛り込んだ。
※この「リブレット」の解説は、「パリの生活」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「パリの生活」の記事については、「パリの生活」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 15:44 UTC 版)
アンリ・メイヤック(英語版)とリュドヴィク・アレヴィ(英語版)はオッフェンバックの主要な作品のリブレットをいくつも手掛けたコンビで、『美しきエレーヌ』(1864年)、『パリの生活』(1866年)や『青ひげ』(1866年)、『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)も携わったほか、ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』のリブレットも作成している。ダヴィット・リッサンは本作の状況設定について「ヨーロッパの絶対的な自由を掲げるロマン主義にとって、スペインは圧制、暴虐の象徴であり、ときにはその抑圧は直ちに国民(ときには宮廷人)の側から仕返しや揶揄の対象となる。隠された憎しみと残虐さの重苦しい雰囲気は作品全体につきまとっていて、滑稽ささえもがオッフェンバックの他の喜劇特有の和やかさを持ち合わせていない。この潜在的な憎悪は、総督がお忍びを自慢し、合唱が彼を揶揄するときにすでに表面化してくる」と解説している。またリッサンは「ペリコールの手紙の内容がアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』から借用されていることは重要である。マノンはデ・グリューに宛てて別れの手紙を書く。その中で、人は飢えに苦しんでいる時は、愛することはできないと言っている。メイヤックとアレヴィはこの文章を詩に変えてペリコールの手紙にしようと言うすばらしいアイディアを思いついた。それは、内容を移すことによってオッフェンバックのオペラ・ブフに極めて独自のトーンを与えた」と指摘している。また、2幕の「貴族たちの短い合唱はドニゼッティの『ラ・ファヴォリート』のパッセージ(音楽と台本の両方において)を借用している。ドニゼッティにおいても宮廷の貴族たちが王様お気に入りの愛妾に貢がせて、それに同意する夫を公然と非難する」場面を指摘している。
※この「リブレット」の解説は、「ラ・ペリコール」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ラ・ペリコール」の記事については、「ラ・ペリコール」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 15:45 UTC 版)
「青ひげ (オペレッタ)」の記事における「リブレット」の解説
アンリ・メイヤック(英語版)とリュドヴィク・アレヴィ(英語版)はオッフェンバックの主要な作品のリブレットをいくつも手掛けたコンビで、『美しきエレーヌ』(1864年)、『パリの生活』(1866年)や『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)、『ラ・ペリコール』(1868年)も携わったほか、ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』のリブレットも作成している。また、ヨハン・シュトラウス2世の『こうもり』の原作である戯曲『夜食』(Le Réveillon)も作成しているのである。寺崎裕則 は「『青ひげ』はオッフェンバックの風刺性とロマン主義的な面が見事に結び合っている上にあらゆる様式的、音楽的、哲学的要素が雑然と盛り込まれている。だがよく見ると、まるで〈歪んだ真珠〉(バロッコ)のように奇妙な調和を見せている。-中略-陽気さと真剣さが奇妙に融けあい、劇的展開は理性的でもなければ、合理的でもなく、感覚的であり、官能的である。万事自然どころかフィクションに満ちており、時も場所もでたらめに変わり、筋は変化に富む。上流社会向きの美的感覚とは打って変わり、卑俗で華美で、血の惨劇やエロティズムを好む。そのため、当然反社会的、反道徳的で、古典主義とは真っ向から対立したバロック演劇そのものである」と解説している。さらに「オッフェンバックの世界はバロックの世界なのだ。そして、時代の気分もまたバロックではなかったのだろうか」 と評している。永竹由幸は「1866年に入って『パリの生活』を書き上げたメイヤックとアレヴィのコンビはドラマの展開にどんでん返しを上手く使いこなせるようになり、続いて書かれたこの『青ひげ』は芝居としても面白い」と評している。台本作家の2人は本作3幕1場のサフィール王子が青ひげに対決を挑む場面での「無駄なトーナメントではなく、命を懸けた決闘で決着をつけよう」(Non dans un vain tournoi, mais au combat mortel.)というマイアベーアの『悪魔のロベール』の台詞をパロディとして引用している。なお、ブロット、ボベーシュ王、ポポラニ、オスカル伯爵など原作には登場しない人物が多数設定されている。
※この「リブレット」の解説は、「青ひげ (オペレッタ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「青ひげ (オペレッタ)」の記事については、「青ひげ (オペレッタ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 14:40 UTC 版)
リブレットはカルロ・ペーポリ(英語版)によってイタリア語で作成されている。原作はジャック=アルセーヌ・フランソワ・アンスロー(Jacques-François Ancelot)とジョゼフ=グザヴィエ・ボニファス(Joseph-Xavier Boniface)の共著による戯曲『議会党派と王党派』(1833年、Têtes Rondes et Cavaliers)である。本作のタイトルはウォルター・スコットによる『墓守老人』(1816年、Old Mortality)にちなんで付けられたが、それ以外にこのオペラと小説とのつながりはない。台本作家フェリーチェ・ロマーニとは長らくコンビを組んだが、本作では、カルロ・ペーポリに代わっている。『テンダのベアトリーチェ』でロマーニの台本作成の遅延で、十分に作曲のための時間が取れなかったことが失敗の原因と見られ、これにより両者は決裂している。なお、本作は当初2幕構成で進められたが、イタリア座の元支配人であったロッシーニの助言により3幕構成に改訂された。清教徒とは16世紀後半に英国教会が成立した頃、カトリック教色を排して、より純粋に信仰を唱えた新興中産階級のことである。クロムウェルが率いるこの清教徒・議会派とステュアート朝の王党派とが対立していた時期が舞台となっている。 ベッリーニのこの最後のオペラはロマン主義潮流の最初の波の終焉を示すものである。ここでは、ウォルター・スコットお気に入りのレオパルディ風の詩的風土が、音楽様式とはまったく無関係である突飛なハッピーエンドに結合されているが、この種の結末はこれ以降、影を潜めてしまった。
※この「リブレット」の解説は、「清教徒 (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「清教徒 (オペラ)」の記事については、「清教徒 (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:52 UTC 版)
「オーリードのイフィジェニー」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはエウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』に基づくジャン・ラシーヌの戯曲『イフィジェニー(フランス語版)』 (Iphigénie) を原作としてフランソワ=ルイ・ガン・ル・ブラン・デュ・ルレ( François-Louis Gand Le Bland Du Roullet)がフランス語で作成した。「この台本は一貫して歯切れのよい、テンポの速い詩で、グルックの古典の正統を踏まえながらも驚異的な軽みと端正な美しさをちりばめた楽曲と見事な均衡を保っている」。また、「第3幕は女たちのそれぞれの想いを吐露する迫力に満ちた場となっている。死の恐怖におののき、アシルへの想いを残しながらも、なお国益と栄誉を担う父を思いやり、我が身に死の栄光をと、健気な決意を歌うイフィジェニー。このくだりはイフィジェニーの切実な願いにもかかわらず、結果的には全てが裏目に出る後々のアトレウス家の悲惨な神話を聴衆が承知していることを踏まえた、心憎い詩で綴られている」のである。『ラルース世界音楽事典』では「デュ・ルレはラシーヌの戯曲が5幕構成なのを3幕構成とし、メネラス、ユリッス(オデッセウス)、エリフィールなどの登場人物を削除している。一方で、ラシーヌの原作にないカルカスという神官が登場し、1幕と3幕で重要な役割を演じ、主要人物たちに重くのしかかる悲劇的運命を体現している。主要人物たちの性格はすべて見事に描き出されており、グルックは情況の変転に富んだ筋を最大限に生かしながら、ドラマに強い緊張感を持続させることに成功している」と解説している。
※この「リブレット」の解説は、「オーリードのイフィジェニー」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「オーリードのイフィジェニー」の記事については、「オーリードのイフィジェニー」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 14:31 UTC 版)
「ルイーズ (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはシャルパンティエ自身が草稿を書き、象徴主義の詩人・劇作家サン=ポル=ルーがこれに大幅に手を加えて完成させた。作曲者は自らの時代を表すオペラを書こうと心掛けた。『フランス・オペラの魅惑』の著者澤田肇によると「民衆の側に立つゾラの思想の延長線上にある『ルイーズ』は激しい論争の的になった。保守的な人間にとって「自由恋愛」は猥褻以外の何物でもない。登場人物も労働者やお針子ばかりでなく、屑拾いや通りの物売りなどオペラ・コミック座の舞台に相応しくない者が大挙して現れる。しかし、人気は急速に広まる。-中略-ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』やマスネの『マノン』といった破天荒な作品を経て、オペラ・コミック座は『ルイーズ』で決定的に「実験的な作品を上演する劇場」という評判を得る」。また、「社会主義的な考え方が歌劇に含まれたのもこの最初とすると言ってよかろう」。
※この「リブレット」の解説は、「ルイーズ (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ルイーズ (オペラ)」の記事については、「ルイーズ (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:08 UTC 版)
「ヘンリー八世 (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはレオンス・デトロワイヤ(フランス語版)およびアルマン・シルヴェストル(フランス語版)によってフランス語で作成されている。原作はスペインの作家ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカの戯曲『イングランド国教会分裂』(La cisma de Inglaterra)とシェイクスピアの『ヘンリー八世』にジョン・フレッチャーが加筆または改訂したとされる戯曲を素材としている。筋立てとしてはグランド・オペラらしく、2つの三角関係 (1)ヘンリー八世、キャサリン、アン・ブーリン、(2)アン・ブーリン、ドン・ゴメス、ヘンリー八世の愛憎関係を中心に展開される。これに謀反の濡れ衣を着せられたバッキンガム公の処刑、ローマ教皇との離婚訴訟を巡る対立、ヘンリー八世の教皇による破門、国教会の誕生という歴史的な事件が描かれている。宗教上の対立はグランド・オペラの中心的台本作家のウジェーヌ・スクリーブがマイアベーアの『ユグノー教徒』、『預言者』や ジャック・アレヴィの『ユダヤの女』において好んで取り上げてきた主題である。なお、カルデロンとシェイクスピアの原作では重要な役割を果たしているウルジー枢機卿の奸計は、オペラでは取り上げられていないほか、カルデロン版に名を連ねるメアリー王女も登場しない。なお、ドニゼッティの『アンナ・ボレーナ』は本作の後の歴史を題材としている。
※この「リブレット」の解説は、「ヘンリー八世 (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ヘンリー八世 (オペラ)」の記事については、「ヘンリー八世 (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:13 UTC 版)
「ハムレット (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはジュール・バルビエ(Jules Barbier)とミシェル・カレ(Michel Carré)によりフランス語で作成されている。シェイクスピアの原作からラストが大きく変更されており、オフェリの葬列でアムレがクロードを殺害してデンマーク王となることを宣言するところで終わっている。シェイクスピア劇の社会的受容状況の相違などから、初演時には大きな問題とならなかったが、時代を下るにつれて原作を冒涜していると言った批判が現れるようになった。なお、1869年の英国初演の際に、《ハムレットが死ぬ》結末の版が作曲され、これが使用された。一般的には、オペラ制作にあたって原作の筋立てが改変されるのは、音楽的制約や声域別の主要な歌手や合唱への楽曲の割り当てなどの都合からむしろ当然なのだが、この場合、原作の知名度が非常に高く、結末が異なっていたために影響が大きくなったものと思われる。加えて、この台本作家のコンビが作成したリブレットとシェイクスピアの原作との間にはアレクサンドル・デュマ・ペールとポール・ムーリス( Paul Meurice)が1847年に共訳した訳本が存在していることも指摘されている。この台本作家のコンビは 1859年3月19日にパリのリリック座で初演されたグノー の『ファウスト』でも原作の大胆な改変を行っている。1868年のパリ・オペラ座における上演に際して、グノーは台詞を朗唱(レチタティーヴォ)に変更、バレエ音楽を追加し、グランド・オペラに改訂した。当初はドイツなどで原作に対する冒涜だといった非難を浴びた。しかし、結局これが現在上演され続ける成功作となっているという周知の事実が背景にあるものと見られる。オペラ研究家の岸純信は「父の敵を斃したとはいえ、不義の母は修道院に向かい、恋人オフェリは狂い死に、その兄ラエルトの憎しみを受けるアムレットには、もはや平安の時は訪れない。心の拠り所を全て失った彼は真の孤独を抱えつつこの先の人生を全うしなければならないのである。人々の歓声が盛大であればあるほど、王子の虚しさもいっそう鮮やかになる。それはまさに、オペラだからこそ描ける真実味。原作を超えるその無常観はいまも色褪せてはいない」と結んでいる。
※この「リブレット」の解説は、「ハムレット (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ハムレット (オペラ)」の記事については、「ハムレット (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:26 UTC 版)
本作はエミール・スヴェストル(フランス語版)によって編纂されたブルターニュの伝説に基づいた2つの物語(La Chasse aux trésorsとLe Kacouss de l'Armor)を原作としている。リブレットはジュール・バルビエ(フランス語版)とミシェル・カレ(フランス語版)によってフランス語で作成されている。バルビエとカレのコンビはグノーの『ファウスト』、『サバの女王 』、『ロメオとジュリエット』やアンブロワーズ・トマの『ハムレット』、『ミニョン』、オッフェンバックの『ホフマン物語』など数々の作品を手掛けている。なお、3幕物への改訂にあたってマイアベーア自身もリブレットの作成に参加した。マイアベーアはパリで活躍するようになってからは本作以外はすべてウジェーヌ・スクリーブにリブレットを依頼したが、今回だけは彼に依頼しなかった。オペラ研究家の岸純信によれば本作の「筋運び自体が悪いわけではない。しかし、追加の場面が多く、主筋に並行する形で脇役勢が中心となったシーンが次々と出る。それゆえ、ドラマがなかなか先に進まない」という指摘もある。
※この「リブレット」の解説は、「ディノラ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ディノラ」の記事については、「ディノラ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:41 UTC 版)
「ジェロルスタン女大公殿下」の記事における「リブレット」の解説
アンリ・メイヤック(英語版)とリュドヴィク・アレヴィ(英語版)はオッフェンバック作品のリブレットを数多く担当したコンビで、他に『美しきエレーヌ』(1864年)、『パリの生活』(1866年)や『青ひげ』(1866年)、『ラ・ペリコール』(1868年)でもリブレットを担当し、オッフェンバックと彼ら2人は名トリオとして一世を風靡した。アラン・ドゥコーによれば「オッフェンバックは『ジェロルスタン女大公殿下』を『パリの生活』と変わらない風刺の精神で作曲した。勿論、2人の友人がリブレットを書いた。3人とも本能的に、好戦的風潮とその行き着く先である戦争に恐怖を感じていた。絶対権力がほとんど例外なく武力紛争を生じさせる火種であることを、彼らは明察していた。国王たちがパリにやって来るのであれば、彼らに戦争と絶対権力の風刺を分からせようではないか。賭けは『パリの生活』より遥かに危険だ。しかし、オッフェンバックは気にするふうもなかった。今や彼は自分の観客に発揮する手腕に自信を持っていた。観客を思う壺にはめるアブラカタブラ(おまじない)のひとつやふたつ知らないわけはないのだ。他のどの作品にも増して、彼は完璧な舞台装置と、このオペレッタの滑らかな進行に気を配った」。第3幕のゲーテの劇詩『ファウスト』の「トゥーレ王の歌」を題材にした「酒飲みのバラード」はベルリオーズの『ファウストの劫罰』とグノーの『ファウスト』のパロディとなっている。ベルリオーズとグノーの音楽は使われていないが台詞だけで十分な効果を発揮している」と指摘している。
※この「リブレット」の解説は、「ジェロルスタン女大公殿下」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ジェロルスタン女大公殿下」の記事については、「ジェロルスタン女大公殿下」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:43 UTC 版)
「ミレイユ (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
ミシェル・カレ(フランス語版)のリブレットによる5幕のオペラで、ノーベル文学賞を受賞したプロヴァンスの詩人フレデリック・ミストラルのプロヴァンス語による長編の劇詩『ミレイオ(フランス語版)』(Mirèio、1859年)を原作としている。この物語はフランスの農村社会での10代の恋人の悲恋だが、裕福さや家柄、世間体といった打算的な要素を一考だにしないミレイユの純真無垢な愛情が感動的に描かれている。「ミシェル・カレはオリーブ栽培と絹織物に関する細部を削除したが、それ以外の点はミストラルの物語の本質を忠実に再現した」。勿論、事件の順番の変更や短縮、省略は多数存在する。例えば、ラモンとアンブロワーズによる父親同士の喧嘩は原作では3幕の出来事のあとに置かれているが、オペラでは2幕に置かれており、これが両家の対立構造を明確に提示することになり、筋書きの構成が分かり易くなっている。原作ではミレイユは村で一番と評判の美しい娘である点がオペラ以上に強調されている。また、求婚者もウリアス一人ではなく、3名いたがより経済的に条件の良い2名はミレイユの愛情が得られないと分かると潔く身を引いており、ミレイユのヴァンサンへの愛情がいかに頑なであったかが明示されている。最後の場面は原作では、ヴァンサンがミレイユの亡骸を抱えつつ、周囲の人たちに自分をミレイユの亡骸と一緒に砂地に穴をほって埋めて欲しいと懇願して終わっている。
※この「リブレット」の解説は、「ミレイユ (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ミレイユ (オペラ)」の記事については、「ミレイユ (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:43 UTC 版)
「サバの女王 (オペラ)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットは、19世紀に活躍したフランスのロマン主義詩人 ジェラール・ド・ネルヴァルの『東方紀行(フランス語版)』(または『東方旅行記』)Voyage en Orient 1851年)のなかの「ラマザンの夜」(Les Nuits de Ramazan)を原作として、ジュール・バルビエ(フランス語版)とミシェル・カレ(フランス語版)によってフランス語で作成されている。シバの女王についての最古の記録は『旧約聖書』「列王記上」10章および「歴代誌下」9章に書かれている。このため、『オペラ名曲百科』のように原作を『旧約聖書』とする資料もある。アドニランは謙虚な芸術家気質で無欲で、サバの女王の無欲で慎み深い性格のため、この2人の高潔さが共鳴し、愛情が育まれる。一方、ソリマンは虚栄心に満ちた為政者である。トバルカイン(Tubal-cain)については、『旧約聖書』の「創世記」に登場する人物で、初めて鉄や銅の刃物を鍛えた鍛冶の始祖とされる。ネルヴァルの原作ではトバルカインはアドニランの父祖として描かれており、アドニランの魂を天に導く役目をトバルカインが担っていることで、一層感動が深められている。原作ではベノーニは炉の爆発と共に命を落としてしまうが、アドニランはその時は混乱のさなかにあり気が付かなかった。ネルヴァルの原作では3人の職人とアドニランの対立は最後にそんなことがあったというアドニランの回想としてしか記述されていないが、リブレットでは1幕第1場に明確に対立点として設定される。なお、ネルヴァルは本作の台本をマイアベーアに託したが、これは失われている。
※この「リブレット」の解説は、「サバの女王 (オペラ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「サバの女王 (オペラ)」の記事については、「サバの女王 (オペラ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 07:44 UTC 版)
「ジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニ」の記事における「リブレット」の解説
ルトリ人の王トゥルノ Turno, re dei Rutoli 1767(音楽悲劇) 女学者 Le donne letterate 1770(音楽喜劇、サリエリ作曲) 無垢の愛 L'amore innocente 1770(牧歌劇、サリエリ作曲) カマチョの結婚式でのドン・キホーテ Don Chisciotte alle nozze di Gamace 1770(サリエリ作曲) ヴェネツィアの市 La Fiera di Venezia 1772(音楽喜劇、サリエリ作曲) 盗まれた桶 La secchia rapita 1772(英雄喜劇、サリエリ作曲) 貧乏人 I rovinati 1772(音楽喜劇、ガスマン作曲) 田舎の家 La casa di campagna 1773(ドラマ・ジョコーソ、ガスマン作曲) 夜の太鼓 Il tamburo notturno 1773(ドラマ・ジョコーソ、パイジェッロ作曲) トビアの帰還 Il ritorno di Tobia 1775(オラトリオ、ハイドン作曲) など。
※この「リブレット」の解説は、「ジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニ」の記事については、「ジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 14:18 UTC 版)
「ファウスト (グノー)」の記事における「リブレット」の解説
リブレットはゲーテの『ファウスト 第一部』のジェラール・ド・ネルヴァルによるフランス語訳及びミシェル・カレの『フォーストとマルグリット』を基にジュール・バルビエ(Jules Barbier)とミシェル・カレ(Michel Carré)によってフランス語で作成されている。『ラルース世界音楽事典』によれば本作は「時おりその巨大なモデルであるゲーテの『ファウスト』に押し潰されていると非難された。これは不当で無益な非難である。台本作者たちは承知の上でゲーテの作品の一部を選び、固有な色調の中で自由に処理したのであり、原典と競おうとしたのではなかった。この台本が幾つかの奇異な率直さを含んでいることは確かである。しかし、ありのままに受け入れてみると、この台本の登場人物たちは見事に描かれており、それによってグノーは新鮮で途切れることのない旋律の閃きをもち、生き生きとしたアンサンブルと独創的な和声の探求と興味深いオーケストレーションをもった、知的で詩的な、しばしば絵画的で時おりは味わい深いと言える音楽を作り出すことができたのであった」。
※この「リブレット」の解説は、「ファウスト (グノー)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ファウスト (グノー)」の記事については、「ファウスト (グノー)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 15:13 UTC 版)
「カルメル派修道女の対話」の記事における「リブレット」の解説
20世紀のドイツのカトリック文学を代表する女流作家ゲルトルート・フォン・ル・フォール(英語版)が1931年に発表した小説『断頭台下の最後の女(ドイツ語版)』を、ジョルジュ・ベルナノスが台本化した。リブレットの起源は「コンピエーニュの16修道女殉教者」(英語)というカルメル会修道女の処刑という史実のなかで、生き残ったマザー・マリーが書き残した『証言(報告)』が1906年に出版され、ル・フォールがこの実話に基づいて小説化した。レジスタンス運動で活躍したオーストリアの神父ブルックベルガー(英語版)がこれを映画化しようということで、当時のカトリック文学の重鎮ベルナノスが指名され、映画のシナリオ が作成された。なお、末期癌と闘っていたベルナノスはこれを書き上げた直後に死亡してしまい、原稿は死後彼の書斎で発見された。このシナリオは当初映画には不向きとされ、戯曲として舞台上演された。映画製作にはさらに時間がかかり、オペラ化のほうが先行することになった。プーランクはこのリブレットを読み、すぐに気に入りオペラ化できる確信を持つに至った。主役にはドゥニーズ・デュヴァルを想定して作曲を進めた。なお、映画自体はフィリップ・アゴスティニ(英語版) 監督とブルックベルガーにより1960年に『 Le Dialogue des carmélites(英語)』として、ジャンヌ・モロー、アリダ・ヴァリ、ピエール・ブラッスールらの配役で完成している。
※この「リブレット」の解説は、「カルメル派修道女の対話」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「カルメル派修道女の対話」の記事については、「カルメル派修道女の対話」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:28 UTC 版)
「ポントの王ミトリダーテ」の記事における「リブレット」の解説
ヴィットーリオ・アマデオ・チーニャ=サンティのテキスト、ジュゼッペ・パリーニ訳のジャン・ラシーヌの悲劇による。
※この「リブレット」の解説は、「ポントの王ミトリダーテ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ポントの王ミトリダーテ」の記事については、「ポントの王ミトリダーテ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 13:55 UTC 版)
リブレット は ウジェーヌ・スクリーブのフランス語のものによる。物語は、意に反して修道女となることが決まった若い女性が、仮面舞踏会に黒い仮装用マスクをつけて現れ、スペインの貴族の男性と結婚することになるという話である。当時のオペラ=コミック座は両家の子女の見合いの場となっていたことから、ハッピーエンドが必須となっていた。レイノアによれば、スクリーブは当時の「聴衆に受けるには、どのような劇的効果を出せば良いかを感知する、抜群の絶対的能力を持っていた」。スクリーブはマイアベーアなどの歌い通すグランド・オペラ以上に会話を含むオペラ・コミックのほうにより多くのリブレットを提供している。
※この「リブレット」の解説は、「黒いドミノ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「黒いドミノ」の記事については、「黒いドミノ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:05 UTC 版)
リブレット は ウジェーヌ・スクリーブのフランス語のものによる。物語そのものは、スクリーブの制作ではない。すでに1793年に発表されたジャン=フランソワ・ル・スュールの『洞窟(英語版)』の素材となっており、その後も舞台劇の形で愛好されていた。スクリーブの巧みな脚色がこのオペラの成功の遠因となったことは見逃せない。フラ・ディアヴォロ〈悪魔の兄弟〉は1771年生まれのミケーレ・ペッザという実在の人物。ルッフォ枢機卿(英語版)およびナポリ王妃マリア・カロリーナに雇われたフラ・ディアヴォロは1800年頃、カラブリアの盗賊一団を率いてフランス占領軍と戦ったが、詩人ヴィクトル・ユーゴーの父ユーゴー将軍に捕らえられ、1806年にナポリで絞首刑となった。このような歴史的事実にとらわれず、脚本家スクリーブは、恐ろしいと言うよりもおもしろく魅力的な盗賊像を作り出している。なお、オペラ・コミックは曲間に台詞を含むことが基本となっており、後に変化するが、ハッピーエンドが長らく不文律であった。
※この「リブレット」の解説は、「フラ・ディアヴォロ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「フラ・ディアヴォロ」の記事については、「フラ・ディアヴォロ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 22:47 UTC 版)
ウジェーヌ・スクリーブはグランド・オペラの中心人物であり、オベールの『ポルティチの唖娘』(1828年)や『ギュスターヴ3世(英語版)』(1833年)、ドニゼッティの『ラ・ファヴォリート』、ヴェルディの『シチリアの晩鐘』といった重要な作品のリブレットを手掛けた作家である。『アフリカの女』の筋立て構成は大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマの話であるが、歴史的事実に忠実に展開される訳ではなく、ドラマとしての盛り上がりなど考慮して自由に書かれている。スクリーブは『ユグノー教徒』、『預言者』、また、ジャック・アレヴィの『ユダヤの女』において、宗教的不寛容や対立を主題として取り上げてきた。本作では教会勢力への反発という点では、ヴァスコが第1幕の最後で破門され、逮捕されてしまう場面がある。対立に関しては、キリスト教とバラモン教の対立というより、ポルトガル人とインド洋上の島国の人々との対立と見るほうが自然に思われる。 『アフリカの女』は3つの三角関係、つまり(1)ヴァスコ・ダ・ガマ、イネス、ドン・ペドロ、(2)ヴァスコ・ダ・ガマ、イネス、セリカ、(3)ヴァスコ・ダ・ガマ、セリカ、ネルスコを中心に展開される。ドン・ペドロは第3幕で死亡してしまい、イネスは元々ドン・ペドロを愛していなかったので、(1)の三角関係は深いものではない。(3)のネルスコの愛情は最も地味ながら深く底流を流れるようなもので、最後に強い感動を引き起こすものとなっている。(2)はセリカとイネスの愛情が競合するもので、最も重要なものだと思われる。ヴァスコは3つの三角関係の中心人物である。現代の道徳観念から見て、最も不可解なのはヴァスコの愛情の対象がイネスからセリカへ、さらにセリカからイネスへ変心してしまう気まぐれではないだろうか。ただし、イネスからセリカへの変心には相応の説明もなされている。つまり、ヴァスコは2度にわたってセリカに命を救われ、バラモン教の婚礼の際に媚薬を飲まされるという背景を考慮することもできるのである。なお、非西洋人のセリカは『ラクメ』や『蝶々夫人』の先駆け的存在と見ることができる。
※この「リブレット」の解説は、「アフリカの女」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「アフリカの女」の記事については、「アフリカの女」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 05:35 UTC 版)
アンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィはオッフェンバック作品のリブレットを数多く担当したコンビで、後に『パリの生活』(1866年)や『青ひげ』(1866年)、『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)、『ラ・ペリコール』(1868年)でも台本を担当し、オッフェンバックと彼ら2人は名トリオとして一世を風靡した。また、彼らはビゼーのオペラ『カルメン』(1875年)の台本やヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』の原作となった戯曲『夜食』(1872年)も書いていることでも知られる。『オペレッタ名曲百科』の著者、永竹由幸は「人妻の浮気と言うリアリスティックな問題を決して下品にせず、つい笑い出してしまうように持っていく台本作家の腕は憎いほど見事」と評している。 『最新名曲解説全集』によれば、本作には「フランスの第二帝政時代の社会と、そこで活躍する為政者に対する攻撃的な風刺が織り込まれている。しかも、この作品ではこれまでのどの作品におけるよりも明らかに、上層社会について映し出されており、『地獄のオルフェ』ではまだあまり見られなかった荒廃状態の中に置かれている社会の没落的気分がさらに明確に示唆されている。エレーヌが再三再四口にする《運命》という言葉の裏には、いずれ訪れる国家の破局が推測され、また、最後にヴェニュスの高僧となって現れたパリスが民衆に向かって享楽的に暮らそうと呼びかける言葉の裏には、永遠には続くことのない現状の世界であるからこそ、今のうちに楽しんで暮らさなければならないといった思想が暗示されている」と説明している。 森佳子は本作の主役の性格設定について「タイトル・ロールのエレーヌはそれまでのオッフェンバックの作品にはないタイプだといえる。例えば、『地獄のオルフェ』のソプラノ役は自分自身の欲望に率直な普通の女性である。しかし、『美しきエレーヌ』では、このような典型的なソプラノを主役に据えることはしなかった。すなわちこの場合、メゾ・ソプラノに近い声質の歌手を主役にすることで、より複雑で矛盾した女性のキャラクターを描くことが可能になったのだ。エレーヌは神々が決めた運命の犠牲者であると同時に、《旧体質》と戦い続ける自己主張が強い女性である」と解説している。
※この「リブレット」の解説は、「美しきエレーヌ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「美しきエレーヌ」の記事については、「美しきエレーヌ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:42 UTC 版)
リブレットはエウリピデスの『アルケスティス』を原作として、イタリア語版はラニエーリ・カルツァビージ、フランス語版はフランソワ=ルイ・ガン・ル・ブラン・デュ・ルレ(François-Louis Gand Le Bland Du Roullet)が作成した。最も大きな相違点はウィーン版(イタリア語)では、アポロがアルチェステを死の神から取り戻すが、パリ版(フランス語)ではヘラクレスがアルセストを死の神から強奪するというエウリピデスの原作と同じ設定になっている点である。二つの「作品」と見るべきウィーン版とパリ改訂版は「それぞれオペラ・セリアとトラジェディ・リリックという二つの異なった伝統から生まれていることは然るべく考慮されねばならないとはいえ、主役二人は改訂版のほうがずっと人間的に描かれている。-中略-ルレの登場人物たちは、時代の変遷と、イタリア人とは対照的なフランス人の態度に合っているが、現代人にとってもイタリア語稿以上に説得力があり、より共鳴できる人物像となっている」。 グラウトによれば、「後者のほうがギリシャ神話にはより忠実であるが、どちらの場合も救い主の出現は18世紀の常套手段である機械に乗って突然現れる神様のただ気まぐれな情けという感じが強く、エウリピデスが意図した神への奉仕に対する贈り物としての救いというモティーフが薄くなっている。ただ、このモティーフはアテネの市民にはどれほど力強く訴えたとしても18世紀当時の聴衆には、完全には納得できなかったであろう。当時の人々にとってはアルチェステの健気な献身こそ、他のあらゆる興味を凌ぐものであった。つまり、オペラの興味はもっぱらヒロインに集まり、それ以外の人物は影が薄くなっているのである」。 この点について、楠見千鶴子は、こうした「最後がハッピーエンドとなるばかりか、終始夫婦が心から愛しあい、自らの犠牲をも顧みず、冥府に下ろうとする内容は、ギリシア悲劇としては珍しい。しかし、18世紀半ばの宮廷オペラにとっては、このような王妃の貞淑と勇気に満ちた自己犠牲はこの上ない好材料であったと思われる。ただし、原作にはオペラには現れなかった悲劇独特の鋭い人間心理を抉る場がやはりある。それは王の代わりに誰でもよい身代わりが求められたとき、高齢に達していた王の実の親二人が共に身代わりを拒む。アドメートスは若い妻が子供を置いて死ぬと申し出るのに、既に十分に生き人生を堪能した両親が、なお醜く生にしがみつく様を赤裸々に糾弾し、父は父で、自分の死を他人になすりつけてまで生き延びようとする息子に悪罵を浴びせる。そこには生身の人間の生への執着とエゴイズムが満ち、耐え難い葛藤を見せつける。恐らく、このオペラが20世紀の作家の手になるのであれば、そこは絶対に見落とせない点であろうが、グルックの時代にそれを要求するのは過酷であろう」という見解を示している。
※この「リブレット」の解説は、「アルチェステ」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「アルチェステ」の記事については、「アルチェステ」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:49 UTC 版)
リブレットはジュール・バルビエ(Jules Barbier)とミシェル・カレ(Michel Carré)によりフランス語で作成された。内容はゲーテの人気小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796年)を自由に脚色したものである。ヴィルヘルムが遍歴の途上に出会う、薄幸の少女ミニョンが突然死んでしまうところは原作に忠実だったが、そのせいで最初の公演の評判は良くなかった。なぜならオペラ・コミックはハッピーエンドで幕が下りるという伝統に反していたからである。そのため、台本に手直しが施され、最後はミニョンとヴィルヘルムが結ばれるバージョンが作られた。このオペラの終結部はオペラ・コミックの慣習に合せたハッピーエンドに改めた長短二通りの版と、主としてドイツ向けにタイトルロールの死で終わるようにした版が用意されている。作曲者自身によるハッピーエンドの短縮版でも演出・演奏が良ければ、少しも取ってつけたようにはならず、切実な感動を呼ぶのである。
※この「リブレット」の解説は、「ミニョン」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ミニョン」の記事については、「ミニョン」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 01:49 UTC 版)
「モイーズとファラオン」の記事における「リブレット」の解説
リブレットは旧約聖書の『出エジプト記』の紅海横断を素材としたフランチェスコ・リンギエーリ(Francesco Ringhieri)の悲劇『エジプトのサラ』(Sara in Egitto、1747年)を原作とした『エジプトのモーゼ』のリブレットをルイジ・バロッキ(イタリア語版)とヴィクトール=ジョゼフ・エティエンヌ・ド・ジュイ(英語版)の2人の共同によりフランス語に改作された。このほかにカリスト・バッシ(イタリア語版)によるイタリア語翻訳版の『モゼ』(Mosè)が存在する。本作のリブレットでは出エジプトの一連の話から適宜エピソードを抜き出して再構成し、効果的な展開にしている。聖書ではモイーズが十戒を授かったのはエジプトを出てからだが、本作では一幕で既に法典を得ている。また、モイーズの行った奇跡は暗闇が第一幕フィナーレから第二幕冒頭で用いられ、紅海横断がクライマックスに取り入れられている。なお、紅海横断のシーンではモイーズが海を割るのではなく、海の上を歩くことになっている。紅海横断の場では毎回劇場側は苦労したと言われ、失敗や不手際に関する様々な逸話が残されている。なお、「アナイの配役は後にロッシーニの妻になったプリマドンナ、イザベラ・コルブランの美声をきかせるために、作り出されたのである」。
※この「リブレット」の解説は、「モイーズとファラオン」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「モイーズとファラオン」の記事については、「モイーズとファラオン」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:44 UTC 版)
「タラール (サリエリ)」の記事における「リブレット」の解説
ボーマルシェがオペラの台本を書こうと思い立ったのは戯曲『セビリアの理髪師(フランス語版)』が初演された1775年にまで遡る。当時彼は作曲家にグルックを想定したが、『タラール』が具現化した1784年に彼の前に現れたのはサリエリだった。『ダナオスの娘たち』と戯曲『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚(フランス語版)』の成功が両者を引き合わせたのである。最初に動いたのはボーマルシェだった。彼は当時既に完成していた本作の台本を貴族のサロンで朗読して好評を博すと、これをオペラ座の理事会に持ち込んだ。理事会は採用を決定し、サリエリへの作曲依頼を了承した。ボーマルシェは本作の物語のプロットをジェイムズ・リドリー(英語版)による『ジェニーの物語(英語版)』(1764年出版)の中の第二巻の第8話『サダックとカラスラーデ』(Sadak and Kalasrade)からとっているが、これは『千夜一夜物語』から着想を得ている。 『タラール』のなかには『フィガロの結婚』を思わせるような多数のキャラクターが現れる。そして、同様に、王位や宗教に対する批評も登場する。この作品の基本的な思想はプロローグからタラールが王位につき、ユルソンとカルピージが彼に従い、自由と法と平等で国を治めることになる終幕まで、明確に表現されている。
※この「リブレット」の解説は、「タラール (サリエリ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「タラール (サリエリ)」の記事については、「タラール (サリエリ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 07:40 UTC 版)
リブレットは、初版によると「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、クムク人、クルド人、マリ人、モルドヴィン人の出典」から採られているとされ、十月革命の20周年を祝う534ページに及ぶ民謡風の詩集から選ばれた寄せ集めである。見かけ上はソビエト連邦の多くの地域や民俗集団の一般市民による作品に見えるものであったが中身は偽造であり、実際は政府の書き手が匿名で民俗的ブィリーナを真似ようとして、不格好にしつらえた失敗作となっていた。選集はラジオ委員会によって作成され、プロコフィエフはそこから再度の並べ替えと編集を行った。既に出版されているテクストを使用することで、新作のテクストに要求されるような当局の承認を得る必要がなくなった。またこれによって、『十月革命20周年記念のためのカンタータ』でプロコフィエフが当局の助言を得ずに自作のリブレットを後から書き直さねばならなくなったような、大失敗を繰り返すことを避けることができたのである。
※この「リブレット」の解説は、「スターリンへの祝詞」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「スターリンへの祝詞」の記事については、「スターリンへの祝詞」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:18 UTC 版)
台本作家ガエターノ・ロッシ(英語版)との『エジプトの十字軍』はイタリアでのマイアベーアの名声を頂点に押し上げたのであるが、ロッシとは『ロミルダとコンスタンツァ(フランス語版)』(1817年)、『レスブルゴのエンマ(英語版)』(1819年)、『見出されたセミラーミデ(英語版) 』(1819年)でも組んでいる。ロッシはロッシーニの『タンクレーディ』(1813年)と『セミラーミデ』(1823年)やドニゼッティの『シャモニーのリンダ(英語版)』(1842年)などのオペラの台本も手掛けている。本作は神聖ローマ皇帝 フリードリヒ2世が率いた 第6回十字軍遠征を題材としている。しかし、歴史的背景として設定されている程度で、政治的な事案が扱われているわけではない。
※この「リブレット」の解説は、「エジプトの十字軍」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「エジプトの十字軍」の記事については、「エジプトの十字軍」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:27 UTC 版)
本作はフランスの劇作家バキュラール・ダルノー(フランス語版)の戯曲『不幸な恋人たち、またはコマンジュ伯爵』(Les Amans malheureux, ou le Comte de Comminge、1764年)を原作としている。フランス語のリブレットはアルフォンス・ロワイエ(フランス語版)とギュスターヴ・ヴァエズ(フランス語版)によって制作され、ウジェーヌ・スクリーブによって加筆された。スクリーブはグランド・オペラの分野で活躍した台本作家だが、一貫して反教会権力を貫いた。本作でも教会権力の象徴であるバルタザールと世俗の権力の象徴であるアルフォンス11世の対立のもとで、権力に翻弄される不幸な恋人たちが描かれている。バルタザールはヴェルディの『ドン・カルロス』 の大審問官を先取りするような存在である。レオノール・デ・グスマンは実在の人物で、は実質的な王妃扱いを受けて、アルフォンス11世との間に10子をもうけた。オッフェンバックは『ラ・ペリコール』において「なんて低級な商いだろう」という合唱を本作の「なんと下劣な」(Quel marché de bassesse!)という冷笑のパロディとして利用している。
※この「リブレット」の解説は、「ラ・ファヴォリート」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ラ・ファヴォリート」の記事については、「ラ・ファヴォリート」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:21 UTC 版)
ウジェーヌ・スクリーブによるリブレットは作品を依頼したパリ・オペラ座が求めた、当時流行していた芸術的要求に応えるものであった。つまり、5幕仕立てで劇的な題材に基づき、強く歴史的な興味を惹きつけ、大合唱やバレエなどの多彩な特殊効果の中で豪華な演出が可能な作品であることである。 スクリーブはオベールが1827年に作曲した『ポルティチの唖娘』やジャコモ・マイアベーアの『ユグノー教徒』など数々のヒット作を生み出し続けた台本作家であり、19世紀のフランス・オペラ界の発展に大きく貢献した人物である。スクリーブは起伏に富んだドラマが展開するリブレットを提供している。 物語は思いがけない事実(つまり、ラシェルがエレアザールの娘ではなく枢機卿の娘であることや、その恋人はユダヤの職人ではなくキリスト教徒の皇太子だった、といったこと)によって構成されており、これらが暴露されるたびに場面は凍りつくような緊張感が走る。さらには、背景としてキリスト教徒とユダヤ教徒の対立が潜んでおり、エレアザールとキリスト教徒の間に宗教的狂信を作り出すことで劇的な緊張感が高められている。これに大規模な儀式や行進が加わり、見応えのある内容となっている。
※この「リブレット」の解説は、「ユダヤの女」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「ユダヤの女」の記事については、「ユダヤの女」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 09:46 UTC 版)
リブレット(台本)は、ウジェーヌ・コルモン(E.P.ピェストロの筆名)とミシェル・カレによる(フランス語)。
※この「リブレット」の解説は、「真珠採り」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「真珠採り」の記事については、「真珠採り」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 09:34 UTC 版)
原作はピエール=アントワーヌ・ド・ラ・ブラース(Pierre-Antoine de La Place)の編集による伝説集で、典型的な好色貴族でトゥレーヌに住んでいたとされるオリー伯爵の話である。「ピカルディ地方に伝わる中世のバラード(1785年)を基にウジェーヌ・スクリーブとドレストル=ポワルソンは1816年に好色なオリー伯爵の女遍歴を基にした一幕物のヴォードヴィル(一幕の歌芝居)を書いた」。オリーは実在の人物で、そのドン・ファンぶりは18世紀後期に人気のあったバラッドの題材となった。しかし、この伝説はそのままリブレットとして使うのには短すぎたため、原作の内容を第2幕に充て、オリー伯爵がまんまと恋に成功しかける第1幕を継ぎ足すことにした。
※この「リブレット」の解説は、「オリー伯爵」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「オリー伯爵」の記事については、「オリー伯爵」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 14:21 UTC 版)
「盗賊 (オペレッタ)」の記事における「リブレット」の解説
アンリ・メイヤック(英語版)とリュドヴィク・アレヴィ(英語版)はオッフェンバック作品のリブレットを数多く担当したコンビで『美しきエレーヌ』、『青ひげ』、『パリの生活』『ジェロルスタン女大公殿下』や『ラ・ペリコール』でもリブレットを担当し、オッフェンバックと彼ら2人は名トリオとして一世を風靡した。本作はフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『群盗』(1781年) やヴェルディの『群盗(英語版)』(1847年)などの類似タイトルとは別にオリジナルに書かれたものである。 ジョゼ・ブリュイールはファルサカッパの人物像について「エルナニ(フランス語版)のように人好きはするがファルサカッパの中にはメキシコ遠征のときのいかがわしい銀行家ジャケルの姿が認められる」と分析している。 本作の風刺の対象は金融界であるが「詐欺師の横領行為は、たいていのご立派な方々が彼と同じように悪党だという正体を現すので、彼を破滅させることにはならない。皮肉な洒落は主としてこのご立派な人物に集中する。しかし、アンサンブルのシーンにはめ込まれたこうした嘲弄、オッフェンバックがこれまで成功した風刺の中でも、最も辛辣なものの一つである、憲兵隊の費用に対する風刺によって圧倒されてしまう。山賊たちが乱痴気騒ぎをしている時、遠くの方から憲兵たちの足音が響いてくる。「軍靴、ドシン、ドシン」と山賊たちは木の後ろに隠れて、時には低い声で、時には声を張り上げて歌う。すると、法律の番人が現れて、自分自身について、法律が重んじられるようにするには、残念ながら自分は、来るのがいつも遅すぎるのだと語る。-中略-そしてそれは、本当に来て欲しいところには決して来ないということで、ひどく滑稽な印象を与えるけれども、いつでも背景にいるということから、いつの日か本当の出番の時にやってくるかもしれないという、定かならぬ不安をもかきたてる、、、」のである。 『オペレッタ名曲百科』の著者、永竹由幸は本作について「台本が非常に面白く、アレヴィとメイヤックの名コンビの名に恥じない名作」と評している。
※この「リブレット」の解説は、「盗賊 (オペレッタ)」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「盗賊 (オペレッタ)」の記事については、「盗賊 (オペレッタ)」の概要を参照ください。
リブレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 06:16 UTC 版)
リブレットはジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュとジャン=フランソワ=アルフレッド・バイヤール(Jean-François Bayard)によりフランス語にて作成された。後にイタリア語翻訳版はカリスト・バッシ(英語版)によって作成された。イタリア語版では台詞はすべてレチタティーヴォに書き換えられている。また1847年、ロンドンで英語版の公演、イタリア語版にはイタリア人にあわせた変更箇所がある。
※この「リブレット」の解説は、「連隊の娘」の解説の一部です。
「リブレット」を含む「連隊の娘」の記事については、「連隊の娘」の概要を参照ください。
「リブレット」の例文・使い方・用例・文例
- リブレットのページへのリンク