『蝶々夫人』
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「ハリウッドにおける東アジア人の描かれ方」の記事における「『蝶々夫人』」の解説
『蝶々夫人』は元々ジョン・ルーサー・ロング著の短編小説であった。イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニはロンドンでこれを基にしたデーヴィッド・ベラスコの戯曲を観劇し、オペラ『蝶々夫人』を作成した。1904年2月17日、ミラノにあるスカラ座で初演された。 日本人の少女「蝶々さん」が白人のアメリカ海軍士官ピンカートンと結婚して一児をもうける話である。ピンカートンは蝶々さんを置き去りにし、蝶々さんの知らないピンカートンの故郷に戻り、白人のアメリカ人女性と結婚する。ピンカートンは新しい妻と共に日本に戻ると、蝶々さんはピンカートンとの子を出産していたが自害する。 このオペラは現在でも大人気であるが、ミソジニーで人種差別的であるとし、また世界中でイエローフェイスを助長するとして批判の対象ともなっている。控えめなアジア人女性を従わせる優勢な白人男性という概念を永続させている。しかしこのオペラはピンカートンの非難されるべき行為を描き、そのリブレットは蝶々さんが不当な扱いを受け同情や尊敬に値する存在として描いている。 1915年、シドニー・オルコット監督によるサイレント映画『蝶々夫人 (1915年の映画)(英語版)』が製作され、メアリー・ピックフォードが主役の蝶々さん役を演じた。1932年にはシルヴィア・シドニーの蝶々さんとケーリー・グラントのピンカートンという配役で再映画化されている。(日本語題『お蝶夫人』)
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