『螢雪時代』後期
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1948年(昭和23年)4月号以降。 日本国憲法、教育基本法、学校教育法等の制定により、1949年(昭和24年)に新制大学の入学者選抜が行われることとなった。『螢雪時代』はこれに対応するため昭和23年4月号より、新制大学の入試を準拠した内容にシフトし、大学進学者を読者とした。 特に戦後から1970年代にかけての長期にわたり『螢雪時代』は独占的な黄金期にあった。この時代の『螢雪時代』は短歌、俳句、詩の投稿コーナーが設けられており、受験情報誌のみならず文学に関心のある青少年たちにとっての重要な文化拠点となっていた。この投稿欄を出自とする文学者は数多く、中でも少年時代から天才を発揮して注目を集めていた寺山修司が著名である。しかし1970年代後半から全国的な予備校増設や模擬試験乱立が顕著に見られ、『螢雪時代』もこの新たな波に見舞われ始めた。これを契機として、さまざまな持続可能性を示す編集や改革が行われた。 1990年代には、姉妹紙である『螢雪アルシェ』が発行されていた。ここには、当時人気の予備校講師等の講座が掲載されていた。予備校講師以外では、細野真宏(数学、当時フリー)、林省之介(古文、当時関西大学助教授)等も参加している。
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