Jランドへの転換と失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 09:00 UTC 版)
「大学受験ラジオ講座」の記事における「Jランドへの転換と失敗」の解説
上記のように、野球延長の場合は夜ワイドの放送時間を短縮するなどの対応をとりつつラ講は継続されたが、次第に午前1時スタートの裏番組に対抗することができなくなっていった。 1992年(平成4年)10月改編で後続の『百万人』が、1993年(平成5年)4月改編では、ラジオたんぱでラ講の前に放送されていた『合格いっぽん道』がそれぞれ打ち切られ、両番組を統合した大型枠『合格プロジェクト』の一コーナーとしてラ講が60分間放送された。『プロジェクト』がある程度の支持を得たという旺文社側の手応えと、『ミスDJ』以来の大型深夜放送となる『Come on FUNKY Lips!』の開始を決めた文化放送の思惑が一致したところへ、『さだセイ』パーソナリティさだまさしが降板を申し入れる。 このため、1994年(平成6年)4月改編で文化放送でも全面リニューアルが行われ、『さだセイ』の枠が空く土曜夜と、日曜夜にラ講を集中的に放送することにした。1994年4月8日の講義を最後に開局以来42年間続いた連日放送が終了する。明けて1994年4月9日からは、『Jランド 大学受験生ナマワイド』(ジェイランド だいがくじゅけんせいナマワイド)と改題、週末の23時から情報コーナーを挟んで土曜は3時間、日曜は2時間の枠が確保された(これによって各講座の1コマあたりの時間も短縮)。これにより、『ホームランナイター』は最大延長が23時まで延長されるようになる。 内容としては『合格プロジェクト』の形態を基本的に引き継ぎ、ナビゲーター役として藤木千穂(当時文化放送アナウンサー)を起用し、受験に関するミニ情報やフリートーク、リクエスト音楽の紹介などが行われた。情報コーナーは旺文社がラ講テキストに替えて創刊したCD講座付き受験情報誌「KEISETSUアルシェ」と連動させた。長年使われた「大学祝典序曲」もこの年度は使用されなかった。 「螢雪時代#『螢雪時代』後期」も参照 文化放送と同時にフルネットした独立局のラジオ関西以外のネット局は、帯番組形態を継続しつつも「Jランド 旺文社大学受験ラジオ講座」と改題し放送時間が45分に短縮された。ラジオたんぱでは『合格プロジェクト』が継続され、その中の45分枠で放送されることになった。 夜ワイド番組に近い形にするリニューアルを断行したものの、メインターゲットは高校3年生と浪人生ということもあり聴取率が大きく下がった。文化放送では『さだセイ』がさだのファンを中心に幅広い層のリスナーを獲得していたのとは対照的に、世代別でNHK R1『ラジオ深夜便』の独走を許してしまう。特にタクシー運転手など大人世代はほぼ離れてしまった。ラジオ関西でも、週末放送で遠距離受信者が非常に多い『林原めぐみのHeartful Station』『青春ラジメニア』『ピーターパンクラブ』の放送曜日・時間が変更となった。こうして、文化放送とラジオ関西の両局とも『Jランド』は完全に失敗と判断せざるを得なくなった。
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