Jリーグでの活躍
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2001年、クルゼイロからリリースされ、J2降格の危機に立たされていた東京ヴェルディ1969へフリートランスファーで急遽入団。Jリーグデビューとなったセカンドステージ10月31日、11節のセレッソ大阪戦でいきなりゴールを決める。東京ヴェルディ1969はエジムンドの加入後、3勝1敗1分けの成績で14位に滑り込み、チームのJ1残留に大きく貢献した。 2002年は怪我を口実にプレシーズンのキャンプに参加せず、リオのカーニバルに参加した影響で、第5節からの登場となったが、ストライカーとしてだけではなくゲームメーカーとしても多くのチャンスを演出した。7節の浦和レッズ戦で2002年初ゴールを決め、10節FC東京戦では決勝点を含む2ゴール、セカンドステージ2節のヴィッセル神戸戦で決勝点を含め2ゴール、6節の名古屋グランパス戦では決勝ゴールを、最終節のベガルタ仙台戦でも2ゴールを決めるなど、合計16点を決め、5月12日のJリーグカップではヴィッセル神戸戦ではハットトリックを決める活躍をしたが、高額な年俸(約2億円)がネックとなり退団した。またこの年、JOMOオールスターサッカーに出場した。 2003年に移籍した浦和では、ハンス・オフト監督がエジムンドを核としたチーム構想を抱いていたが、練習方法への不満、意見の相違から退団した。出場はJリーグカップ予選2試合だけということになった。
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