家族の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:18 UTC 版)
「アタナギルド (ヘルメネギルドの子)」の記事における「家族の対立」の解説
アタナギルドの両親は579年に結婚した。西ゴートの王族たちは幼少期からアリウス派の教育を受けており、イングンデの母ブルンヒルドのようにカトリック国に嫁入りすると、結婚式の前に自身が改宗して、やがて生まれる子供たちをやはりカトリックに育て上げる義務があった。その逆の場合もあり、イングンデの祖母でアタナギルドの曾祖母ゴイスウィンタは早速、イングンデのために改宗の儀式を準備する。しかし、イングンデは人並み以上の熱烈なカトリック信者でそれを受け入れなかった。ゴイスウィンタは怒り狂った。年代記によれば、ゴイスウィンタはイングンデの髪を掴んで引きずり回し、地面に叩きつけ蹴りつけた。イングンデは怪我をした。それでも言うことを聞かなかった。後に衣服を裂いて裸にし、養魚池に放り込んだ。頭を踏みつけて虐待したなどと書かれている。困り果てた祖父レオヴィギルドは唯一の解決策として、ヘルメネギルド夫妻を当時アンダルシアで前線基地となっていたセビリアに送り出すことにした。
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