ヘルメネギルド
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ヘルメネギルド (Hermenegild、550/7年頃?/564年 - 585年4月13日)は、西ゴートの王族。レオヴィギルド王の長男。彼は当時イベリア半島で支配的だったアリウス派の教育を受けた(これに対しヒスパノ・ローマ人はカトリックだった)。彼のカトリックへの改宗は父親との対立を生む原因となり、父親に対して反乱を起こし、捕らえられてから死んだ。
- ^ 異説として、ヴァンダル王国第5代王ヒルデリックの甥ホアメルの娘もしくはヒルデリックの孫娘。なお、父がアマラリックの場合、その正妃クロティルドが母との説があるが、記録上クロティルドに子供は確認できない。現代の歴史家の中にはゴイスウィンタが西ゴート王家のバルト家に属する人物であることを示唆する者もいる。
- ^ http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=041401
- ^ Gregory of Tours VIII 28
- ^ ブルンヒルドは書簡の中で、孫アタナギルドをしっかりと保護してほしいと嘆願している。
- ^ "Lives of the Saints: For Every Day of the Year" edited by Rev. Hugo Hoever, S.O.Cist, Ph.D., New York: Catholic Book Publishing Co., (1955)
- ^ 玉置さよ子 1996, pp. 30–38.
- ^ 橋本龍幸 1988.
- 1 ヘルメネギルドとは
- 2 ヘルメネギルドの概要
- 3 影響・評価
- 4 参考文献
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