アタナギルド (ヘルメネギルドの子)とは? わかりやすく解説

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アタナギルド (ヘルメネギルドの子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 02:34 UTC 版)

Athanagild
アタナギルド

出生 580年 - 582年[注 1]
死去 不明
配偶者 フラウィア・ユリアナ
子女 ヘレナ?
パウルス
アルデバルト[注 2]
ステファヌス?
父親 ヘルメネギルド
母親 イングンデ
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アタナギルド(Athanagild, 580年から582年 - ?)は、西ゴート王国の王族。ヘルメネギルドとその妃イングンデの一人息子で夫妻の唯一の子女。同名の西ゴート王アタナギルドは曾祖父にあたる(母イングンデがアタナギルドの次女ブルンヒルドの長女)。ブルンヒルドの夫で母方の祖父はメロヴィング朝フランク王国の分王国アウストラシアの王シギベルト1世。そのため、フランク王族の血筋でもある。また一説に、父方の祖母テオドシアの血筋を辿れば、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスに辿り着くとされる。その生涯は主に幼少期しか断片的に明らかになっていないが、西ゴート王国とフランク王国のハーフという血筋故に、当時の地中海諸国を渦巻いていた政治的思惑や宗教的対立に翻弄された、悲運かつ悲劇の王族だった。

生涯

家族の対立

アタナギルドの両親は579年に結婚した。西ゴートの王族たちは幼少期からアリウス派の教育を受けており、イングンデの母ブルンヒルドのようにカトリック国に嫁入りすると、結婚式の前に自身が改宗して、やがて生まれる子供たちをやはりカトリックに育て上げる義務があった。その逆の場合もあり、イングンデの祖母でアタナギルドの曾祖母ゴイスウィンタ[注 3]は早速、イングンデのために改宗の儀式を準備する。しかし、イングンデは人並み以上の熱烈なカトリック信者でそれを受け入れなかった。ゴイスウィンタは怒り狂った。年代記によれば、ゴイスウィンタはイングンデの髪を掴んで引きずり回し、地面に叩きつけ蹴りつけた。イングンデは怪我をした。それでも言うことを聞かなかった。後に衣服を裂いて裸にし、養魚池に放り込んだ。頭を踏みつけて虐待したなどと書かれている[1]。困り果てた祖父レオヴィギルドは唯一の解決策として、ヘルメネギルド夫妻を当時アンダルシアで前線基地となっていたセビリアに送り出すことにした[注 4]

脚注

注釈

  1. ^ ヘルメネギルドと母イングンデの結婚が579年でアタナギルドの名が記録に現れ始めるのが583年から584年にかけてであるため、その4〜5年間にアタナギルドは生まれたと推察できる。
  2. ^ 綴りは「Ardebart」。611年頃 - 没年不明 。アルダバスト(Ardabast)とも呼ばれる。
  3. ^ 西ゴート王アタナギルドの王妃で、後にレオヴィギルドと再婚。つまり、本項のアタナギルドの実の曾祖母であると同時にレオヴィギルドの長男ヘルメネギルドの継母となるため、義理の祖母でもある。出自は諸説あり、西ゴート王アマラリックの娘で母はアマラリックの正妃クロディルダとの説、あるいはヴァンダル王国第5代国王ヒルデリック英語版の甥ホアメルの娘、もしくはヒルデリックの孫娘ともされる。現代の歴史家の中にはゴイスウィンタが西ゴート王家のバルト家に属していたことを示唆する者もいる。
  4. ^ 戦略拠点バエティカの主都。ヘルメネギルドはバエティカの長官に任命された。東ローマ帝国は552年当時、西ゴート王の座を争っていたアギラ1世とアタナギルドの内戦に介入し、アンダルシア地方を征服、スパニア属州として支配していた。レオヴィギルド・ヘルメネギルド父子の時代、東ローマ帝国勢力は衰退気味であったが、カトリック系の住民たちの地盤は根強く、政治面でも軍事面でも問題だらけの地域だった。最終的に西ゴート王国が東ローマ帝国勢力を完全に駆逐しスパニア属州を征服、イベリア半島を統一するのはレオヴィギルド・ヘルメネギルド父子の時代から約半世紀後のスウィンティラ王の時代(620年代、史料に乏しく征服年の確定は出来ない)まで待たなければならない。イベリア半島統一後もバレアレス諸島は東ローマ帝国の領土であり続けたが、西ゴート王国の滅亡から約190年後の902年には後ウマイヤ朝の支配下に入っている。

出典

  1. ^ 高橋博幸・加藤隆浩 編『スペインの女性群像-その生の軌跡』行路社、2003年、 p17,p18

参考文献

  • 玉置さよ子 『西ゴート王国の君主と法』 創研出版、 1996年
  • 鈴木康久 『西ゴートの遺産 - 近代スペイン成立への歴史』 中央公論社、 1996年1月
  • 尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、 1999年2月
  • 橋本龍幸 『中世成立期の地中海世界 - メロヴィング時代のフランクとビザンツ -』南窓社、 1997年2月28日
  • 関哲行、立石博高、中塚次郎 『スペイン史 1 古代-近世』 山川出版社〈世界歴史大系〉、 2008年7月
  • 下津清太郎 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、 1982年
  • 永川玲二 『アンダルシーア風土記』 岩波書店、 1999年7月27日
  • デイヴィッド・キーズ 『西暦535年の大噴火ー人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』 文藝春秋、 2000年2月



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