父と兄の内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 19:17 UTC 版)
長兄ヘルメネギルドは父レオヴィギルドの存命中から共同統治王となっていたが、妻に迎えたアウストラシア王女イングンデ(シギベルト1世とブルンヒルドの娘)の影響を受けカトリックに改宗し、父に対し反乱を起こして敗れ流刑にされていたが、再度反乱を計画した為、処刑された。レカレドは内戦時、常に父王の側に立って忠実を保って戦い、敗北を確信して教会へ逃げ込んだ兄を説得する役目も果たしている。ヘルメネギルドの子で甥にあたるアタナギルドも東ローマ帝国によってコンスタンティノープルへと拉致された為、王位継承者はレカレドしか残っていなかった。
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