父との離別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 14:56 UTC 版)
「ドミトリー・パヴロヴィチ」の記事における「父との離別」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 上からニコライ2世、ドミトリー、タチアナ ドミトリーとオリガ 1902年、父パーヴェルがオリガ・カルノヴィチ(英語版)(後のオリガ・パーリィ)との再婚によりニコライ2世の怒りを買って海外に追放された。パーヴェルは子供たちを連れて行くことを認められなかったため、ドミトリーとマリアはモスクワ総督を務めていた伯父セルゲイと伯母エリザヴェータ大公妃に引き取られ、モスクワで暮らすことになった。マリアは回顧録の中で、「伯父セルゲイは厳格な人で、伯母エリザヴェータは冷たく私たちを歓迎していないようだった」と記している。 1905年2月17日(ユリウス暦2月4日)、セルゲイは馬車で外出中、エスエル(社会革命党)党員イワン・カリャーエフ(英語版)によって暗殺された。セルゲイの暗殺後、エリザヴェータはそれまでの態度から一変してドミトリーとマリアを熱心に養育するようになった。マリアは1908年にスウェーデンのヴィルヘルム王子と結婚してエリザヴェータの元を離れたため、その後も彼女に対して良い感情を抱いていなかったが、ドミトリーは彼女との良好な関係を築いていった。 マリアがスウェーデンに旅立った後、ドミトリーとエリザヴェータは皇帝一家の賓客としてツァールスコエ・セローのアレクサンドロフスキー宮殿で暮らすようになった。ニコライ2世はドミトリーの代理父として接し、彼のユーモラスな性格を気に入った。ドミトリーもニコライ2世の日課の散歩に同行して良好な関係を築き、ニコライ2世との生活を楽しんでいることをマリアに宛てた手紙に書いている。 魅力的な性格でハンサムだったドミトリーには、ニコライ2世の第1皇女オリガ大公女との縁談も噂された。なお、ニコライ2世のただ1人の男子であるアレクセイ皇太子が血友病を患っていたことから、オリガと結婚の噂のあったドミトリーは有力な皇位継承者と見なす向きもあるが、ロマノフ家ではパーヴェル1世によって制定された皇位継承法によって、女子の皇位継承権が否定されていたので、オリガとドミトリーの縁談はアレクセイの病状とは無関係である。
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