父との不和とは? わかりやすく解説

父との不和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)

志賀直哉」の記事における「父との不和」の解説

1907年明治40年)、東京帝大在学していた直哉志賀家女中深い仲になり、結婚希望するが父から強い反対に遭う足尾銅山問題よりもともと良好ではなかった直哉と父の関係はこの一件悪化する1912年大正元年9月直哉は「大津順吉」を『中央公論』に発表する。この「大津順吉」は、女中との結婚問題題材にした作品であった。この作品直哉初め原稿料100円を得る。その頃、『白樺』の版元である洛陽堂から直哉初の短編集出版する話が進み、その出版費用を父が負担することが約束された。そこで直哉がその費用を父に求めにいったところ、父は「小説なぞ書いてゐて将来どうするつもりだ」「小説家なんて、どんな者になるんだ」と、直哉小説家としての将来否定するような発言をした。言い争いになった結果直哉10月25日家出して東京銀座木挽町旅館2週間ほど滞在した後に広島県尾道転居する尾道転居後の1913年大正2年1月、初の短編集となる『留女』を刊行題名祖母の名にちなむ。後にこの短編集夏目漱石によって賞賛された。『留女刊行同月読売新聞紙上に「清兵衛と瓢箪」を発表する。これは瓢箪愛す少年と、その価値観理解しようとしない大人たちの話であるが、後年直哉は「自分小説を書く事に甚だ不満であった父への私の不服」がこの作品を書く動機であった語っている。そして尾道において直哉は、自身初となる長編時任謙作」の執筆着手する直哉自身モデルである時任謙作を主人公とし、父との不和を題材とした作品だった。しかし思うように筆が進まず執筆中断する長編執筆が進まなかったことも相まって直哉1913年大正2年4月尾道滞在半年程度切り上げ帰京する1913年大正2年8月15日東京滞在していた直哉は「出来事」という小説書き上げた晩に、里見弴一緒に素人相撲を見に行くが、その帰り道山手線電車はねられ重傷負い東京病院(現・東京慈恵会医科大学附属病院)に入院する同年10月、その養生のために兵庫県の城温泉滞在城崎滞在中、直哉・鼠・いもりという3つの小動物の死を目撃する。この体験が後の短編城の崎にて」の形で結実することとなる。 城崎での養生後、11月8日直哉一度尾道戻ったものの中耳炎患い、その治療のため11月17日帰京するその後東京下大井町(大森駅近く)に家を借りて一旦はそこに居住する。しかしその頃武者小路実篤を介して夏目漱石から東京朝日新聞小説連載するよう依頼される直哉は同紙に「時任謙作」を連載する心積もりで、腰を据えてその執筆取り組むために1914年大正3年5月東京離れて里見弴とともに島根県松江市転居する1925年大正14年)に発表された「濠端の住まひ」は松江での生活を描いたのである。そして松江居住時、大山赴いた直哉はその眺望感銘を受ける。この大山からの眺望は「暗夜行路」の結末場面採用されている。松江において後の創作につながるこうした体験をしていた直哉であったが、肝心小説執筆は進まなかったため、上京して漱石宅を訪れその場漱石新聞小説連載辞退申し出た漱石不義理働いたとの自責の念悩んだ直哉は、結果的にこの年から3年休筆をする。 1914年大正3年9月直哉京都転居する同年12月武者小路実篤従妹である勘解由小路康子結婚康子華族女学校中退である上に再婚だったことなどから、この結婚は父の望むものではなく結果として直哉父との対立深まった結婚翌年直哉は父の家から自ら離籍している。結婚式東京麹町園町武者小路宅で行われたが、列席者は武者小路勘解由小路両夫妻のみで、京都料亭「左阿彌」で行われた結婚披露宴友人数人のみの出席とどまった結婚後、神経衰弱になった康子のために翌1915年大正4年5月鎌倉雪ノ下転居する。しかしこの転居康子神経衰弱良い影響与えず1週間程度群馬県赤城山転居猪谷六合雄建築した山小屋に住む。この家に住んでから康子神経衰弱から回復直哉もこの家を気に入る。赤城山での生活は1920年大正9年)に発表された「焚火」に描き出されている。

※この「父との不和」の解説は、「志賀直哉」の解説の一部です。
「父との不和」を含む「志賀直哉」の記事については、「志賀直哉」の概要を参照ください。

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