父とともに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:17 UTC 版)
1895年(光緒21年)冬、サンフランシスコに渡りキリスト教系の学校で教育を受ける。1910年(宣統2年)には中国同盟会に加入した。その後カリフォルニア大学バークレー校を卒業し、コロンビア大学で経済学修士を取得した。 1917年(民国6年)8月に帰国、護法運動を開始した孫文の下で、大元帥府秘書兼外交部秘書に任命された。1920年(民国9年)11月、広州市政庁長兼治河督弁に任命される。まもなく広州に市制が導入されたことに伴い、孫科が初代市長となった。1922年(民国11年)8月、中国国民党改進案起草委員会委員に任命される。翌年10月、党臨時中央執行委員会委員に任命され、第1回全国代表大会の準備に関わった。翌年11月からの、孫文の北京行に随従し、1925年(民国14年)3月の孫文の臨終に立ち会っている。 同年7月、大元帥府改組により国民政府が成立すると、孫科は国民政府委員、中央軍事委員会委員に任命された。1926年(民国15年)1月、国民党第2期中央執行委員に選出される。5月には広東省建設庁長兼政府委員に任命された。広州市長時代も有能な行政官としての評価を得ていた孫科は、この時も優れた行政手腕を発揮し、都市建設に多大な成果をあげている。
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