父との関係
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頑固者の父との関係はなかなか難しいものがあったと回想している。しかし、父同様に役者の道に進み、さらに声を中心とする声優業が中心となったことで、次第にしっくりいくようになったと語る。「弟は役者ではないので、『未だに親父と何を話していいか分からない』とよく言っている」とのことである。以前は周夫との共演は「あ、親父がクレジットに出てる。やだなあ」と照れていたが、お互い元気な内に何か芝居を創りたいとも語っていた。周夫に「(財産もないし)何も遺してやれなくてごめんなぁ」と言われた際に、「俳優として一番大切なものを遺してもらった」と返した。周夫がそれは何かと問うと「血だ」と答え、それに感動したと、周夫は後年インタビューなどで度々口にしていた。また周夫は「感性に生きる仕事を選んでくれたことは嬉しい」とも語っている。 幼少時代は、周夫が『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)・(第2作)』でねずみ男の声を演じていたことで「小ねずみ男」「ねずみ小僧」などとあだ名され、いびられたことがあり、このことを友達に明かしたことを後悔したという。また、明夫が赤ん坊のころに、母親が不在で周夫が今日中に読まないといけない台本を読んでいたという際に、明夫が大泣きしたため、「うるさい」との理由で押し入れに閉じ込められたことがあったとも語っている。このエピソードを明夫自身は「(役者としての父親が)そうするのも無理は無い」とし、「役者になっていなかったら(父親の)そういった心境も理解できなかっただろう」という趣旨のコメントした。『ストレンヂア 無皇刃譚』のオーディオコメンタリーでは周夫の演じたねずみ男を真似て自己紹介し、山寺宏一から「それはお父さんの役じゃないですか」とツッコミを受ける一幕を見せた。その後、『映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』に『鬼太郎』のキャラクターがゲスト出演した際には、明夫がねずみ男を演じている。 『メタルギアソリッド4』では、オールド・スネークとビッグ・ボスという親子役を親子で演じている。また『メタルギアソリッド3』のネイキッド・スネークと前述のビッグ・ボス、『キングダム ハーツ バース バイ スリープ』のゼアノートなど同一人物の壮年期と老年期、『バビル2世』のヨミのようにシリーズこそ違うが、1つの役を親子2代で演じた例もある。 また、『荒野の七人』を飛行機の機内で上映することになっていた際、予算の都合上で吹き替えを担当した声優が呼べず、若い者を起用しようということになり、「自分の息子なら文句ないだろう」として、明夫がチャールズ・ブロンソンの吹き替えを担当したことがあるという。しかし吹き替えを担当した際、明夫の耳にはその場にいないはずである周夫の「違うなぁ」という声が聞こえてきたという。 2015年1月25日放送のテレビ東京系で放送されたバラエティ番組『SMAPの中間管理職・稲垣&草彅コンビ初MC「1位じゃなくっていいじゃない」』で、ナレーターとして父の周夫と一緒に自身の名前を連ねたが、事実上これが最後の親子共演となった。その後、2015年5月4日より父が長年演じていた『忍たま乱太郎』の山田先生(山田伝蔵)を引き継ぐことになった。その後も先述した『妖怪ウォッチ』での『鬼太郎』のねずみ男、リブート版の『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王、『キングダム ハーツ』シリーズのマスター・ゼアノートなど、周夫がかつて演じた役を引き継いでいる。 また、2018年の映画『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』の日本語吹き替え版では、前述の通り周夫が持ち役にしていた俳優、チャールズ・ブロンソンの「そっくりさん」俳優であるロバート・ブロンジーの吹き替えを周夫に近づけた声色で担当した。
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父との関係
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『申楽談儀』(第3段)には、元雅作の「隅田川」の演出をめぐって父と意見の対立があったことが記されている。この作品のクライマックスでは、子を喪った母の前に一瞬その亡霊が現れるが、元雅が実際に子方(子役)を舞台に上げてその亡霊を演じさせることを主張したのに対し、世阿弥は子方を出さない演出を提案した。元雅は父の演出を「えすまじき(そんなことはとても出来ない)」と強く否定している。 また江戸時代成立の『四座役者目録』は元雅の項で、 十郎元雅 世阿ノ子也。音阿以前也。ヲチト云。越智ト、カ様ニ書タルアリ。大和ノ越智ト云所ニ住居ノ故ト也。世阿弥勘当シ、不和也。能ヲ作リタル人ト也。ヲチト云事、世阿弥ト不和ニテ、関東ヘ落下タル故ト云節(説)有。…… と記し、また世阿弥の項では、 ……世阿ノ聟禅竹ヲ、我子ノ十郎太夫ヨリ崇敬シ、禅竹ニ能謡ヲ好ク被教候ニヨリ、公方ノ御意ニ違、佐渡ノ国ヘ配流セラレ…… と、元雅は父との不和から勘当されて関東に落ち逃び、一方の世阿弥は女婿の金春禅竹を寵愛し、実子を軽んじたあまりに佐渡へ流罪となったという伝承を紹介している。この伝承の内容自体には真実性がないが、いずれにせよ「隅田川」のエピソードも含め、父子にはともに傑出した能楽師として、一種の緊張関係があったことが窺える。 一方で世阿弥が、次代の観世大夫として彼に強く期待していたことは間違いない。事実世阿弥の『風姿花伝』に次ぐ能楽論『花鏡』は観世座の後継者である元雅のために書かれているほか、贈与先の書かれていない多くの伝書も、多く元雅に託されたものと考えられている。また元雅もそれに応え、晩年には「得法」即ち悟りの境地にまで至っていたという。しかし元雅は結局夭逝し、世阿弥は元雅の死をいたんで『夢跡一紙』を書いた。七十を越えて後継者を失ったことは、世阿弥にとっては致命的痛恨事であり、その死の翌年、失意のうちに世阿弥は佐渡に流罪となる。
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