悟りとは? わかりやすく解説

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さとり【悟り/覚り】


悟り

読み方:さとり

ラ行五段活用動詞「悟る」の連用形、あるいは連用形名詞化したもの

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悟り

悟りとは仏教でいう「迷いからさめる」ことであり、剣道的にいえば剣の四戒脱却し超然たる心境達し生死以って二つにせぬ剣の極所を極めることである。「一瞬の悟りに半生の夢あり」といわれるように多年亘る難行苦行結果到達できる境地である。

悟り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 09:45 UTC 版)

悟り(さとり、: bodhi pnse (継続的非記号体験)は、迷いの世界を超え、真理を体得すること[1]覚悟証得証悟菩提などともいう[1][注釈 1]仏教において悟りは、涅槃解脱とも同義とされる[1]


注釈

  1. ^ 菩提は: bodhiの音写[1]
  2. ^ 「開悟」が仏教伝来以前から中国に存在していた漢語かどうかは不明。
  3. ^ 肉体的な執着から離れた境地となり、意識が調和されるにしたがって、水が水蒸気になって拡大してゆくように、もう一人の我というものが拡大していって宇宙と一如と感じられるようになってゆくことを悟りとする説もある。内的宇宙が拡大して外的宇宙と合一することが佛への転換点であるとされている。[15]
  4. ^ 釈迦が降魔成道を遂げて悟りを開いたとされる蠟月(十二月)八日は、今日でも降魔成道会として、曹洞宗では最も重要な年中行事の一つとなっている[18]
  5. ^ 過去七仏の観念があらわれ、第七人目の仏がゴータマであるとするようになったのは、後代になってからとされる。[23]
  6. ^ ウパニシャッドの言葉であっても、現存パーリ仏典よりも内容や言葉はかなり古いものをうけている。[24]
  7. ^ 無我とは、アートマンが存在しないのではなく、我でもないものを我とみなしてはならないという考え方であり、「われという観念」、「わがものという観念」を排除しようとしたのであるとされる。[31]
  8. ^ ゴータマの悟りに関して、宇宙には意識の働く宇宙と物質の宇宙の二つの世界があるとする見方に基づき、「自ら(自灯明)」という意識の大きさは、もともと宇宙の大きさと等しいものであるとする見解がある。煩悩から解脱するとき、意識の大きさは、その本来の大きさである無限大になるとされているようだ。アートマンは、人間の煩悩との関係から、「われという観念」(偽我)として存在しているかのように見える、という見解もある。[32]
  9. ^ ゴータマは無余涅槃を排斥したとされる。[33]
  10. ^ 悟りというものを宇宙原理たるブラフマンと真の自己との合一という観点から見た場合、小宇宙的概念としての内的世界(真人としての我)が、大宇宙の根本原理と合一すると言い換えることもできそうである。
  11. ^ 肉体的な執着から離れた境地となり、意識が調和されるにしたがって、水が水蒸気になって拡大してゆくように、もう一人の我というものが拡大していって宇宙と一如と感じられるようになってゆくことを悟りとする説もある。内的宇宙が拡大して外的宇宙と合一することが佛への転換点であるとされている。[36]
  12. ^ この宇宙の前には、幾多の宇宙の生成と消滅があり、それらの幾多の宇宙期における歴史と、そこにおける自らの一々の百千の生涯について思い起こすことができるようになったとされる。
  13. ^ ここで四諦に関連して書いてあることは、後世の付加であるとされている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P105 中村元
  14. ^ そのことについて見た場合、第三の明知と、過去現在未来にわたる阿羅漢について、心に関して、心でもって知る、という智慧には、共通する部分があると言える。
  15. ^ カッサパは九次第定と六神通とに関してゴータマと等しいとゴータマから認められた開悟者とされたが、対機説法においては、対機した幾人かの比丘尼が還俗したりしたことが記されており、慈悲という面では、及ばないところがあったようである。 [42]
  16. ^ 諸仏の教えがいつからのものであるかについての記述はないが、ゴータマの回想によると、7回の宇宙期の記憶があるということであるから、そのうちのいずれかの宇宙期より伝承されてきたものであるかのようにも考えられる。この宇宙期に起源をもつものであるとすると、諸仏の教えは、超古代文明を生きた仏の教えであるということができる。プラトンが記述したアトランティス大陸などにも、古代文明を生きた賢者が、万古不滅の法を悟っていたとする見解もある[99]。また、さらに、諸仏の教えが、この宇宙期以前の仏の教えであるとするならば、それは超宇宙期の仏の教えであるということができる。初期の仏教においては、万古不滅の法とは、超古代文明をさらに超えた文明に生きた仏が悟った理法であると見ることができる。また、ゴータマは、過去・現在・未来の人類の心を見通せるということであるので、諸仏の教えは未来にその発生の源を持つというふうに見ることもできる。
  17. ^ 「淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意」までは、複数形で言われており、それらの具体的な行為が意味されている。「奸計、好色、よこしまな眼、瀆言、高慢、無分別」までは単数形。それらで表される心のあり方に主眼点があるとされている。[134]
  18. ^ 福音書において、「十字架」という語には、贖罪論的な意味はなく、自力的な人生の重荷や使命といった意味を持つ言葉としてしか使われていないとされている。[135]そうしたことから、福音書の中には、「自力救済的な教え」と、「他力救済的な教え」とが混在していると言える。そして、キリスト教が国家宗教としての位置を確立するころには、「他力救済的な教え」以外のものを異端として排斥するようになっていった。
  19. ^ 自分の霊的な本質を認識していることを指しているとされている[138]
  20. ^ マタイ5:48にも、同じような言葉が使われている。
  21. ^ 太陽を介し、そのよき従者である光を人間に送る神[140]
  22. ^ 内面的に純化されたイスラームは、「悟り」を求める修行者の意識と共通する部分があると言える。このように、内面的ともいえるイスラームの一宗派は、イスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまで来ているとされている。そのため、イスラーム教において彼らは、異端として弾圧されてきたとされている。[147]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 中村元ほか(編) 『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、370-371頁。 
  2. ^ 新村出(編) 『広辞苑』(第三版)岩波書店、1986年10月、972頁。 
  3. ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「悟」 483頁。
  4. ^ 『正覚』 大正新脩大蔵経テキストデータベース
  5. ^ a b 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「正覚」 687頁、ならびに『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) を対照逐訳。
  6. ^ 『広説佛教語大辞典』 中村元著 (東京書籍) 上巻 「開悟」 180-181頁。
  7. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) prativibudda 840頁。
  8. ^ a b 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「悟」 483頁、ならびに『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) を対照逐訳。
  9. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) bodhi 932頁。
  10. ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」 1062頁。
  11. ^ 阿耨多羅三藐三菩提 がは大正新脩大蔵経に1万3500余回出現するが、阿含部は45回に過ぎない。
  12. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) anuttarāṃ 58頁, samyak 1437頁, sambodhiṃ 1434頁。
  13. ^ 阿耨多羅三藐三菩提 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  14. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P7 中村元
  15. ^ 『心の原点』高橋信次  三宝出版 1973年 P26
  16. ^ 『四禅‐定』 (禅学大辞典)参照: 釈迦族の農耕祭のときに四禅定を得たとする。同辞典の旧版では農耕祭での相撲のときに四禅の相を現したとしている。
  17. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大日經疏演奧鈔(杲寶譯)』 (T2216_.59.0414a08: ~): 疏如佛初欲成道等者 按西域記 菩提樹垣正中金剛座。…(中略)… 若不以金剛爲座 則無地堪發金剛之定 今欲降魔成道 必居於此。
  18. ^ 清水寺成道会12/8 ※記述内容は各寺共通 - 京都・観光旅行。
  19. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『釋迦譜』 (T2040_.50.0064a08: ~): 佛成道已 梵天勸請轉妙法輪 至波羅捺鹿野苑中爲拘隣五人轉四眞諦。
  20. ^ 藤本晃 (2015年11月). 悟りの四つのステージ. サンガ [要ページ番号]
  21. ^ a b 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P114 中村元
  22. ^ 岩波文庫『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』P291訳注第五章注150 中村元
  23. ^ 原始仏典Ⅱ相応部第一巻P484第8篇注80 中村元ほか
  24. ^ a b 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  25. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P152松本照敬
  26. ^ 岩波仏教辞典第二版P371
  27. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P234松本照敬
  28. ^ a b 『世界の名著1 バラモン経典 原始仏典』中公バックス 昭和54年 P22 インド思想の潮流の項目 長尾正人 服部正明
  29. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P113 中村元
  30. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P118 中村元
  31. ^ 中村元著『佛教語大辞典』より) 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P20無我の項目上村勝彦
  32. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P172
  33. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395注875 中村元
  34. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P144 中村元
  35. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P7 中村元
  36. ^ 『心の原点』高橋信次  三宝出版 1973年 P26
  37. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P113 中村元
  38. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P205注29 中村元
  39. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P95 中村元
  40. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部経典第2巻』 第5篇P616注24  春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  41. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部経典第2巻』 第5篇P396解説  春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  42. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第5篇P616注24  春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  43. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部経典第2巻』P596 第1篇注60 春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  44. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P204注28 中村元
  45. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部経典第2巻』 第1篇P600注88  春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  46. ^ 『尼僧の告白』1982年岩波書店P36中村元
  47. ^ 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII』岩波書店 1986年 P339の注8 中村元
  48. ^ 「たましい(霊)の最上の清浄の境地」のうちにあって、多くの人々の幸福のために、世間の人を憐れむために、清浄な行いを存続してゆくことが目的であるとされている。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書 1984年 P395の注875 中村元
  49. ^ 禅宗などにおいては、根本的な悟りを得ることを大悟するという宗派もあれば、大吾を否定し、日常修行そのものが大悟であるとする宗派もある。(出典『岩波仏教辞典』1989年 P657)
  50. ^ 撒餌経(中部経典第25経)によると、無余涅槃を目的とするグループに対してのみ、無余涅槃について説くことがあった、とみることができる。
  51. ^ 悟りには、一般的に考えられている悟りと、本来的な悟りとされるものの二種類があるとする見解がある。一般的には、宇宙即我の悟りとも呼べる「大悟」というものを悟りと呼んでいる。本来的な悟りとは、日常生活において自分が気づいた欠点を修正し、その正した事柄が無理なく行えるようになることであり、これへと精進し続けることを悟りとする、という見解がある。(出典『心眼を開く』 三宝出版 1974年 P209 高橋信次)
  52. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P260の注54 中村元
  53. ^ 『仏典を読む1 仏陀の生涯』岩波書店 2017年 P50 中村元(前田専學 監修)
  54. ^ 無所有処や非想非非想の思想については、他の仙人が説いた教えではなく、もともとは仏説であった、とする見解がある。(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 P723 第36経の注4  春秋社2004年 中村元監修)
  55. ^ 想念には外界にあまねく存在するものと、内界の様々な想念があるとする。マーラのわなは、外界と内界の両方にあるといえる。非想非非想の思想と、悪魔のわながつながりがあると見るならば、「解脱」という語は、マーラの眼から逃れるという観点から見た「悟り」であると見ることができる。 外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあり、その想念の動きを止めたところに、空間(物質的な宇宙)の無限や、意識の無限(ブッダの体感する過去現在未来の意識主体の総和)を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。
  56. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思い P282 前書き 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳
  57. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』第36経 身体の修行と心の修行ー マハ―サッチャカ経 P549 春秋社2004年 中村元監修 平木光二訳
  58. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P104 中村元
  59. ^ 正見というものから離れるので、諸仏の教えというものからも、離れてゆくようである。
  60. ^ これは、宇宙期についての明知にあたるようだ。
  61. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P120 中村元
  62. ^ マハーカッサバは、比丘が衆人と交わるのを戒めた。ゴータマは、衆人済度のために遊行を何十年もしたが、マハーカッサバは、岩登りをしていたとされる。『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P284 1058の注
  63. ^ これは、諸々の衆生意識についての明知にあたるようだ。
  64. ^ これは、「なにも持たない」ということであるとする経文もある。「なにも持たない」ということは、煩悩を滅することと関係があると思われるので、これは、もろもろの汚れを滅ぼす智に関係があると思われる。
  65. ^ これは、「生は尽きはてた」という言葉に関係があるようである。「闇黒は消滅して、光明が生じた」というブッダの言葉から推察すると、非想非非想の状態に、光明のみが感じられるということのようである。
  66. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師と鹿の群れ-猟師経 P379 春秋社 2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳
  67. ^ 第85経や聖求経には、想受滅と思われる境地に至り、教えを説く意欲の亡くなったゴータマに、世界の主であるブラフマー神が、慈悲利他の境地に誘ったことが伝えられている。世界の主は、このままだと世界は滅びる方向に向かってしまう、と言ったとされている。考えてみると、無余の涅槃にとっては、宇宙には生成する時期もあれば、滅びる時期もある訳であるから、それはどちらでもいいわけである。世界の主の放った言葉のうちには、想受滅の解脱とは異なった次元に、諸仏の慈悲を衆生に説く境地があったことがうかがえる。
  68. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経は、無余涅槃を求める出家者に対して解かれた経文のようで、「闇黒は消滅して、光明が生じる」等の、梵天勧請以後の境地について、欠落している。想受滅の状態で考えられる心境は、光を受信する心の働きをも滅した闇の感覚や、光を感じる光明の感覚、この世の主などの霊的存在を感じる光明の感覚、などである。
  69. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P329 中村元
  70. ^ 無余涅槃を求める初期の修行者にとっては、「もはや輪廻の範囲に戻ってくることのない境地」というのは、理想の境地とされていた。これは後代においての不還とは異なっている。(出典『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』岩波書店 1986年 P257の注3 中村元)。これに対して、世界が成立しつつあるときの極光浄天というのは、有余涅槃で考えられるニルバーナの世界と同質の世界であると思われる。
  71. ^ 在家信者に対しては、「さとりを達成する」「さとりを究める」と説いている。これは、一旦梵天の世界に入り、何転生かの後に、さとりを達成する、という意味である。
  72. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P48 中村元
  73. ^ 初期の仏典には、教えを聞く人と、静かな林内で独りになって悟る人と、教えを聞きあの世に帰ってブッダをたずねてくる人と、悟ってあの世に帰って、消滅する人などについての記述がある
  74. ^ ここには、有余涅槃の萌芽があるとされている。(出典『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P292 の注 中村元)
  75. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P306の注 中村元
  76. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P113  中村元
  77. ^ 解脱していると思われる修行僧が、悪口を言ったために地獄に落ちた、という話がある。ここから見えることは、「ニルバーナ」を目指す者は、たとえ大悟を果たしたものであっても、努めはげんでいないと、悪魔の誘惑に負けた者は、悟りの境地から、外れてしまうことがあることを示唆している(出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P144 中村元)
  78. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P420の注 中村元
  79. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P197の注15 中村元
  80. ^ 原始仏典Ⅱ相応部第一巻P137第三篇第二章第8節 中村元ほか
  81. ^ 『2つの扉』 三宝出版 2022年 P143 高橋佳子
  82. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P431注1147 中村元
  83. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P197の注15 中村元
  84. ^ 「世界の主」という語は、西洋的には訳しにくい語であるとされていて、「この現実世界の主」という意味を持っている。(出典『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P340の注 中村元)
  85. ^ 当時の人々は、梵天を、世界を創造した主神と考えて尊崇していたとされるので、この現実世界の主宰神とする見方もある。(出典『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店 1978年 P95の注中村元
  86. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P106
  87. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P339の注と、P88 中村元
  88. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P313の注 中村元
  89. ^ 過去七仏はすでに消滅の内に没入し、真理そのものとなったと認識されていたようだ。(出典『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店 1982年 P111 中村元)。六神通に通じた人は、自らの分身をつくりだす自己変化の能力があったとされることから類推すると、当時の悟達者は想受滅に至り、自らの存在を消し、真理そのものとなる能力があったということが考えられる。
  90. ^ (出典『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P88 と、P339 の注 中村元)このことは、唯我独尊を超えて、ダルマの人格的な面に頼って生きる生き方は、八正道における「正命」の正しい在り方を指示しているとみることができる。在家信者の生活という点に関しては、八正道と神仏への信仰生活との関連性もうかがえる。
  91. ^ (出典『原始仏典第4巻 中部経典 Ⅲ』第100経 清らかな行いの体験 ー サンガーラヴァ経 春秋社 2005年 前書き P426 山口務
  92. ^ 悟りの内容の最後の方に、第三の明知が生じた後、無明と闇黒が滅び、光明が生じた、とある(出典『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P107 中村元)。ここに言われている「光明」とされるものが、「神の意識」(神の存在)と同じものであるとする見解がある。(出典『人間釈迦 1』三宝出版 P157 高橋信次 )
  93. ^ なお、悟りの内容を記したいくつかの経文には、「神」、「人格的な面を持つ理法」、「出起する道」、「梵輪」、などの実在について、言及しているものはあまり見当たらない。これは、ゴータマにとっては、直感的な事柄について、対機説法によってこれを説く機縁にある弟子があまりいなかったためと思われる。
  94. ^ 後代の仏教(アッサムやスリランカ)で、ダルマが人格神のように見なされるに至った源泉にこの詩句があるとされている『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元
  95. ^ (出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P335 中村元)。これは、光明という言葉に関連していると見ることができる。
  96. ^ これまで人間が、神、仏、万古不滅の法、実在、宇宙意識等と呼んできたものは、万生万物の根源としての「一なるもの」であるとする見解がある。(出典『人間の絆 嚮働編』祥伝社 1991年 P34 高橋佳子)
  97. ^ 『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』岩波書店1986年P118中村元
  98. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P89 中村元
  99. ^ 『心の原点』三宝出版1973年P51 高橋信次
  100. ^ ゴータマが悟る直前にマーラの誘惑や、攻撃を受けたとされるのも、ゴータマが悟って、教えを説いてしまうと、人間をだまして支配することがやりずらくなってしまうからだとされている(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P292 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳)
  101. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P292 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳
  102. ^ 最初の時期には五下分結についての解釈は一定しておらず、死後に四悪道のいずれかにおもむかせる五つの束縛という解釈もされていた。三界説はダンマパダやスッタニパータの中にも出ていないが、五下分結、五上分結の観念はおそらく成立していたと考えられている。三界説が成立したのは、かなり遅れてのことであるとされている。(出典『ブッダ 神々との対話』岩波書店 1986年 P228 中村元)
  103. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P340の注 中村元
  104. ^ (出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P373 の注 中村元)無明と六道輪廻とが関係しているとするならば、内的世界においても、六道輪廻の現象が起こっているといえる。
  105. ^ 『尼僧の告白』岩波書店 1982年 P89 中村元
  106. ^ 『尼僧の告白』岩波書店 1982年 P18 中村元
  107. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P233 1103 中村元
  108. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P185 835 中村元
  109. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P43 中村元
  110. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P319の注8 中村元
  111. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P15 中村元
  112. ^ 『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P249の注 中村元
  113. ^ 内的世界においては、悟り以前の段階として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の心の状態を、各人の心が六道輪廻している、とする見解もある。(出典『GLA誌 2005・10』人天経綸図解義の項 GLA総合本部出版局 2005年 P16 高橋佳子
  114. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P94 中村元
  115. ^ 『尼僧の告白』岩波書店 1982年 P89 中村元
  116. ^ 『仏典を読む1仏陀の生涯』岩波書店 2017年 P4 中村元(前田専學 監修)
  117. ^ 生きている人間の天界は、有頂天といって、上がったり下がったりする心の情緒における上がった状態を指す、という見解がある。
  118. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P188 846 中村元
  119. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P175 772 中村元
  120. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P175 中村元
  121. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第21経 怒りのこころと慈しみのこころー鋸喩経 春秋社 2004年 前書き P304 中村元監修 羽矢辰夫訳
  122. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P371の注 中村元
  123. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P368の注660 中村元
  124. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 P48 中村元
  125. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P111 中村元
  126. ^ 悟りの道から脱落した人が、地獄から抜け出るためには、生前の自らを悟り、自分は梵天の世界に生まれてはいない、ということを悟ることが外的な地獄を抜け出るきっかけとなる、ということができる。諸仏の教えと、仏との善友ということが、地獄脱出の要になっているといえる。地獄に落ちる要因となった己の悪行を省みて(もろもろの悪をなさない)、自分自身の心の在り方を止観し(自らの心を浄くする)、善いことをなそうとすることが、内的な地獄を抜け出ることにつながり、仏との善友の絆をつなぐことになる、と見ることができる
  127. ^ 『心の原点』 三宝出版 1973年 P59 高橋信次
  128. ^ 悠誘 高野山 高野山の歴史 - 一般社団法人 高野町観光協会。
  129. ^ 渡辺研二 2006.
  130. ^ 鈴木大拙全集第十巻[要追加記述]
  131. ^ 『人間の絆 響働編』高橋佳子 祥伝社 1991年 P55
  132. ^ マタイ福音書15:16
  133. ^ マルコ福音書7-21
  134. ^ 『新約聖書』新約聖書委員会岩波書店2004年、P31
  135. ^ 『新約聖書』新約聖書委員会岩波書店2004年、補注用語解説P21
  136. ^ 『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』 闘技者トマスの書 3 岩波書店、1998年、 荒井献大貫隆、小林稔、筒井賢治訳 
  137. ^ 岩波書店『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』 P380
  138. ^ 岩波書店『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』用語解説 P5
  139. ^ マリア福音書参照
  140. ^ 岩波書店『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』P57
  141. ^ 『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』 闘技者トマスの書 岩波書店、1998年、 荒井献大貫隆、小林稔、筒井賢治訳 
  142. ^ 闘技者トマスの書参照
  143. ^ 岩波書店『ナグ・ハマディ文書 Ⅱ 』トマス福音書1989年 荒井献ほか
  144. ^ トマス福音書参照
  145. ^ イスラム史におけるスーフィズムの意義について(Webpage archive、2012年8月5日) - http://www4.ocn.ne.jp/~kimuraso/ronbun3.html
  146. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年P212
  147. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著(岩波書店 1991年P218
  148. ^ 『コーラン 中』井筒俊彦岩波書店 1958年 P301 解説
  149. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P15
  150. ^ 『真創世記黙示篇』 祥伝社 1978年 P54 高橋佳子
  151. ^ 『マホメットの生涯』ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳 河出書房新社 2002年P22
  152. ^ 『マホメットの生涯』ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳 河出書房新社 2002年
  153. ^ 『ムハンマド』国書刊行会 2016年 P45 カレン・アームストロング著 徳永理沙訳
  154. ^ しかし、初期の啓示とされるものについても、ヒラー山にて下されたものはごくわずかであり、2年ほど通信は途絶えたとされている。その後は、当時の偶像崇拝のメッカであった神殿にて再開されたと言われている。当時の神殿は、人身御供も行われるほど、霊的に乱れた場所であり、その後の神の啓示の神聖さに大きな影響を与えたと考えられる。詳しくはナスフを参照のこと。
  155. ^ 『心眼を開く』高橋信次著 三宝出版 1974年 P142
  156. ^ 『老子・荘子』講談社学術文庫1994年P184森三樹三郎
  157. ^ 『老子・荘子』講談社学術文庫1994年P89森三樹三郎
  158. ^ 『中国古典文学大系4』平凡社1973年 P488解説 金谷治
  159. ^ 初期仏教の経典の中には、サーリプッタ解脱をしたときに、「内に専心して、外の諸行に向かうときに道が出起して、阿羅漢位に達した」と語ったとされる。他に、「内に専心して、内に向かうと道が出起」、「外に専心して外に向かうと道が出起」「外に専心して、内に向かうと道が出起」という四通りがあるとされる。(出典『原始仏典II 相応部経典第2巻』P596 第1篇注60 春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳)
  160. ^ 『中国古典文学大系4』平凡社1973年 P64 金谷治
  161. ^ 『老子・荘子』講談社学術文庫1994年P184森三樹三郎
  162. ^ 『老荘を読む』講談社 1987年 P114 蜂屋邦夫
  163. ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社1978年P114 小川環樹
  164. ^ 老子が「道(タオ)」と呼んできたものは、人間がこれまで神とか仏とか宇宙意識とか呼んでいた、万生万物の根源としての「一なるもの」であるとする見解がある。(出典『人間の絆 嚮働編』祥伝社 1991年 P34 高橋佳子)
  165. ^ 『老子・荘子』講談社学術文庫1994年P184森三樹三郎
  166. ^ 『中国古典文学大系4』平凡社1973年 P64 金谷治
  167. ^ 欲望に動かされずに道徳の極致にいたるというのは、初期仏教における「諸仏の教え」に通ずるものであると見ることができる。
  168. ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社 1978年 P40解説 小川環樹
  169. ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社 1978年 P472 小川環樹
  170. ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社 1978年 P256の注 小川環樹)
  171. ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社 1978年 P51 小川環樹
  172. ^ また、荘子において、「明」によって照らすとする思想の中には、是非の対立を超えた明らかな知恵を持つことであるとする場合がある。この場合の明知は、絶対的な智慧を指し、こては仏教でいう無分別智にあたるとされる(出典『老子・荘子』講談社学術文庫 1994年 P178 森三樹三郎



悟り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:33 UTC 版)

ボーディ王子経」の記事における「悟り」の解説

ゴータマ修行おおまかな流れとしては、出家前に初禅の段階会得し出家して無所有境地等を学び苦行転じ、やがて、初禅の境地帰り四禅成道の道にたどりついたとされている。そして、教え説く心が止滅しそうになったところに世界指導者であるブラフマー神が、仏法流布のこころをゴータマ思い起させた、と言うことようである。 悟りとは無余涅槃求めるものであるというのは誤解であるとされている法を説く気がなくなった時とは、ゴータマ無余涅槃近づいたときであると見ることができる梵天勧請直前ゴータマは、無余涅槃目的として魔の力の及ばない領域としての解脱達成した、と見ることができる

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悟り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:28 UTC 版)

「釈迦」記事における「悟り」の解説

正覚」、「菩提」、および「ブッダガヤ」も参照 35歳シッダールタは、ガヤー地区英語版)のほとりを流れナイランジャナー川(英語版)で沐浴したあと、村娘スジャータから乳糜布施を受け、体力回復してピッパラ下に坐して瞑想入り、悟りに達して仏陀となった成道)。 この後7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起十二因縁悟った8日目に尼抱盧陀ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間座って解脱楽しみを味わった22日目になり再び尼抱盧陀下に戻り、[要出典]悟りの内容世間の人々語り伝えるべきかどうかその後28日間にわたって[要出典]考えたその結果、この真理世間の常識逆行するものであり、「法を説いて世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるけだろう」との結論至った。 ところが梵天現れ衆生説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。3度勧請の末、釈迦世の中には煩悩汚れ少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教え説け理解できるろうとして開教決意した釈迦はまず、修行時代かつての師匠アーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタ教え説こうとしたが、二人はすでに死去していたことを知ると、ともに苦行をしていた五人沙門説くことにした釈迦は彼らの住むワーラーナシーまで、自らの悟りの正しさ十二因縁形で確認しながら歩んだ。[要出典] ワーラーナシーサールナートに着くと、釈迦五人沙門に対して中道四諦八正道説いた初転法輪)。五人は、当初はシッダールタ苦行止めたとして蔑んでいたが、説法聞くうちに悟りを得て比丘五比丘となった最初の阿羅漢コンダンニャであった。法を説き終えて釈迦は「世に6人の阿羅漢あり。その1人は自分である。」と言い、ともに同じ悟りを得たと言った。[要出典]

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悟り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 05:59 UTC 版)

スィヤードヴァーダ」の記事における「悟り」の解説

多数予測理論独断的に支持する能力自己論駁的に見える。そのためひとたび真理様々な観点から多面的であるとみなされる真理に対する問い解決できないように感じられる。しかし、このジレンマはケーヴァリが無限の知識得て事物究極的な真理知識到達できる人々あるため解決される。ケーヴァリではなく世俗世界生きているに過ぎない人々真理一部だけを得て七種予測到達する

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悟り

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和語の漢字表記

(さとり)

  1. さとりを参照

「悟り」の例文・使い方・用例・文例

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