神秘体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 22:38 UTC 版)
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本記事では神秘体験(しんぴたいけん、Mystical experience)について説明する。
概要
岸本英夫は神秘体験を「知をも情をも越えた、特異で純粋な体験」と記述した[1]。
内容はさまざまである。多くは、あるとき突然に、強烈な光を見たり、神々しい感情に打ちのめされたりする。その体験のあまりの強烈さに、人格や考え方が一瞬にして変わってしまうことさえある。
体験した本人にしかわからず、他者からはうかがい知ることができない、と言われている。あくまで自己の内部において体験することであって、第三者が確認できるものではない[要出典]、と言う[誰?]。
体験のきっかけ
神秘体験を惹起するものは多様であるが、以下のようなものが知られている。
- 宗教などの修行[2]。
- 眉間への手かざしによる霊動。鎮魂法とも呼ばれる。[1]
- ヨーガ[3]
- 瞑想[2]
- 自己啓発セミナー[2] [注 1]
- LSD[2]やアヤワスカ[4]などの幻覚剤
- 肉体的、もしくは精神的な極限状態[5][注 2]
脳科学的研究
ペンシルバニア大学のアンドリュー・ニューバーグは、深い瞑想状態や祈りの状態にある者の脳内の神経学的変化を研究した。ニューバーグによると、深い祈りを込めた瞑想は、上頭頂葉後部の活動を低下させ、血流を減少させていた。また瞑想者のメラトニンやセロトニン濃度は上昇し、コルチゾールやアドレナリン濃度は低下していた。前者2つのホルモンはリラックス時には上昇し、後者2つはストレス負荷により上昇するので、この変化は理に適っているとした。
こうした研究成果は、あくまでも脳と体験に「対応関係」がある事を示すものである。(脳内の変化が体験を生み出すという因果関係を証明するものでは無い。)ニューバーグは、瞑想時における様々な神秘体験が「客観的な現実であるか」と問われた時に、それは「神経学的な現実」であると返している。[6]
脚注・出典
注
- ^ 苫米地は「カタルシス体験」と結びつけて説明した。
- ^ 以下は左記出典NHK「戦跡-薄れる記憶 AFTER THE WAR-」サイトより。「点呼でどもるようになり、どうきも激しかった。行軍中、突然目の前がぱっと明るくなり、観音様の姿が見えた。大声で『観音様だ』と叫んだ。小川にはすの花が咲いて、手に取ってみると、缶詰の空き缶だった。休憩していると、『ここにいると殺されるぞ、早く逃げろ』という声が聞こえ、1人歩いて逃げ出した。友軍に保護され、個室に収容された。毎夜、刑場へ連れて行かれる夢を見た」
出典
- ^ 『宗教神秘主義:ヨーガの思想と心理』大明堂 1959 p.216
- ^ a b c d 苫米地英人『洗脳原論』(春秋社 2000年2月15日)
- ^ 遠藤康「ヨーガ的神秘体験と知識:岸本英夫の主知的宗教神秘主義体系説をめぐって」(PDF)『愛知文教大学比較文化研究』第1号、愛知文教大学、1999年、1-13頁、ISSN 13451081、NAID 110000037548。
- ^ “ペルーアマゾン、アヤワスカツアーをめぐって―観光化、商品化されるシャーマニズム” (PDF). 山本誠 (2012年9月1日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ “50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷””. 小椋崇広 日本放送協会 (2021年8月26日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ サム・パーニア『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』三交社
参考文献
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- 苫米地英人『洗脳原論』(春秋社 2000年2月15日)
- 河原道三『人間の心に生じる特異点』(リバーフィールド 2000年11月)
関連文献
- Catret Juan, 土田元子「「ロヨラのイグナチオの神秘体験:『アカタミエント』の研究」田辺菫:神秘家としてのイグナチオ・デ・ロヨラ」『ソフィア』第36巻第3号、上智大学、1987年、416-421頁、ISSN 04896432、NAID 40002258418。
- 織田年和「回心と溶解体験:神秘体験の社会学的分析のために」『京都産業大学論集 人文科学系列』第17巻、京都産業大学、1990年5月、30-54頁、ISSN 02879727、NAID 110000162629。
- 渡辺学「ユング心理学の原型 : 神秘体験・心霊現象・心霊主義」『倫理学』第7号、筑波大学倫理学原論研究会、1989年3月、51-59頁、ISSN 02890666、NAID 110000489021。
- 岩野卓司「内的体験のブランショ革命:ジョルジュ・バタイユによる「無神学」の出発点についての考察」『明治大学教養論集』第432号、明治大学教養論集刊行会、2008年3月、1-20頁、ISSN 03896005、NAID 120001941159。
- 河原道三(2015)「 神秘体験--Wikipedia『神秘体験』記述について」
関連項目
神秘体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 08:02 UTC 版)
麻原彰晃に惹かれたのは、他の宗教の多くが「神の啓示を受けた」とするものが多いのに比し、麻原は自分自身で修行をし苦難を乗り越えた「どこにでもいるような人」であったからだという。最初のセミナーで、新実はその雰囲気が自分自身が求めていたものと直感する。そこでバイブレーションに浸りながら修行することで身体の浄化作用を実体験し、宿便が出たり、体調の回復を実感する。この神秘体験によって、深く麻原に帰依するに至る。当初は半信半疑であったもののその考えは180度転換する。 シャクティーパットにより、アストラル体の浮遊を感得し、体が痺れ多大な至福感を覚える。このときに「麻原に一生付いていくほかない」と確信する。このときの体感を「生死を越える」に詳しく書いている。麻原に礼を言い、道場へ行くと、突然肉体のクンダリニーが昇り、シャクティー・チャクラーが起こる。ムーラ・バンダ、ウディヤーナ・バンダが起こり、その後背中の方が盛り上がり、首のところでジャーランダラ・バンダが起こり、頭の方へすっと抜けた感じがした。これが精神集中やマントラを唱えるだけで自分自身で抑えられないほどに、すぐに起こるようになる。新実自身によれば「この霊的な変化が本当に自分の内面で起こったことをきっかけとして、やっと信に目覚めさせてもらった」という。 1986年3月、愛知学院大学を卒業。当時のベンチャー企業だった『ジャパンリース』へ就職が決まるが、入社前に倒産。それでも地元のみそや豆乳などを製造する食品会社マルサンアイに大学の紹介を受けず自身で訪問し入社の内定を得る。 1986年4月、マルサンアイに就職。「物怖じしない性格は営業向き」と営業部門に配属される。健康食品の営業を担当し、カルシウムなどを強化した特別な豆乳を地元婦人会等に販売していた。履歴書の特技欄には「水泳」と書き、会社の催しでは一度ヨガを披露したことがある。どこへでも飛び込みでセールスする積極さから優秀な業務成績を収め、上司にもかわいがられていた。 しかし、その後心が現実生活に向かったため「魔境」に陥り二度も自動車事故を起こした。1987年5月のゴールデンウィークの前頃から事故のヴィジョン[要曖昧さ回避]が見え始める。通常なら事故のヴィジョンは否定するが、新実は事故を実際に起こせばどうなるかという気持ちが沸き起こり、時速120㎞で田んぼに突っ込んだことがあった。麻原のシャクティーパットや霊的な体験によって守られているという自信があったため、死なない確信があった。普通なら否定すべき誘惑に引っかかったと感じ、後にそれを「魔境」で「暴力のカルマ」だったと受け取った。 1986年9月、新実は「魔境へ入り込んだ」と信じ込み、悩んだ末に「以前から興味のあったヨガの道に進むため」として入社半年で退職。家族には「ヨガの修行を二、三年積んでくる」と言い残し連絡を絶つ。
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