神秘主義詩
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ペルシア詩のなかでも、もっとも注目すべきは神秘主義詩であり、11世紀以降ほとんどの詩人は直接・間接にこの思想の影響を受けた。神秘主義はペルシア文学に活力を与えると共に、同文学によって昇華、集大成したともいえる。シブリーは次のように述べている。 ペルシアの詩は神秘主義の要素が導入されるまでは生命なき形骸に過ぎなかった。詩作とは元来感情発露を示すもので、神秘主義以前には詩的熱情が存在しなかった。カスィーダは頌詩、追従にすぎず、マスナヴィーは出来事の描写で、ガザルは言葉の羅列にとどまった。神秘主義の本来の要素は、真実の愛であり、それは徹頭徹尾熱情である。真実の愛のおかげで、比喩に価値が生じ、その焔は全ての詩人の心を燃やし、今や発せられる言葉に情熱を欠くことがなかった。 このような神秘主義思想をペルシア詩に最初に導入したのは、シーラーズのバーバー・クーヒーであるという。彼は同じく同地出身の著名なスーフィーで、ハッラージュの処刑を目撃したイブン・ハフィーフの弟子であった。しかし説を否定する研究者もいる。 多くの研究者の意見が一致している最初の神秘主義詩人はアブー・サイード・ビン・アビー・ル・ハイルである。彼は詩人というよりはむしろ偉大なスーフィーとして名高く、バーヤズィードの流れをくむ陶酔的神秘主義者であった。Kashf-ul-Mahjoobの著者Ali Hujwiriは、彼を評して「愛の人の帝王、スーフィーたちの王者の中の王者」と呼んでいる。彼はこの思想の表現形式としてルバーイーを用いた。11世紀にはこの詩形を用いた三大神秘主義詩人が現れた。アブー・サイードの他にバーバー・ターヒル・ウルヤーン、アブドッラー・アンサーリーである。アブー・サイードの四行詩に関してニコルソンは疑問を抱き、主としてそれらは彼の作品ではないと述べているが、イランの碩学サイード・ナフィースィーは自ら校訂したアブー・サイード詩集に720首を集録し、その真正を主張している。 初期の神秘主義詩人たちが何故ルバーイーを表現形式にしたかは容易な問題ではないが、バーヤズィードの流れを含む陶酔的、感情的神秘主義の表現にはこの端的な詩形を最もふさわしかったのであろう。 12世紀になると、表現形式は主としてマスナヴィー詩形に変化した。この詩形を最初に神秘主義表現形式とした詩人はサナーイーであった。彼は初めガズニー朝に仕えた宮廷頌詩人であったが、のちに神秘主義の道に入り、1131年「真理の園」と題する神秘主義詩を詠み神秘主義詩人としての地位を確立した。 彼はこの他に「下僕の巡礼」、「立証の道」等を試作した。彼の試作によりペルシア文学における神秘主義は感情的神秘主義から思弁的神秘主義に移行した。詩人として彼は他の詩形にも優れ、特にガザルにおいては大先駆者とみなされている。 アッタールは、12世紀後半から13世紀前半にかけて、サナーイーに次ぐマスナヴィー詩形の大神秘主義詩人である。数多い彼の作品の中でも、「神秘の書」、「神の書」、「鳥の言葉」は特に名高い。中でも比喩表現において最後の作品は独自に地位を占めている。彼のガザル作品も注目に値する。 サナーイーとアッタールはペルシア文学における神秘主義最高詩人ルーミーの先駆者で、彼をして「アッタールは彼の魂、サナーイーはその両眼、我らはサナーイー、アッタールの跡を追った」と言わしめた。 13世紀においてルーミーの出現により、ペルシア神秘主義文学は最頂点に達した。アラビア文字においても13世紀前半はイブン・アル・ファーリド、イブン・アラビーの二大神秘主義詩人が活躍した時代で、13世紀はペルシアのみならず広くイスラーム圏において神秘主義文学が最も栄えた時代と言えよう。 ルーミーと同時代にシーラーズ出身のサアディーも、ルーミーと並んで13世紀を代表する大神秘主義詩人であった。ルーミーとサアディーとの大きな相違は、前者の作品が純然たる神秘主義作品で思弁的神秘主義の極致であるのに対し、後者の作品は神秘主義の実践を強調した作品で、倫理的神秘主義の極致といえる。 ルバーイー、マスナヴィーを主たる表現形式としてきたペルシア神秘主義はガザルによって最高度に官能的に表現された。これは14世紀にハーフェズによって完成されたといえる。彼以前にもサナーイー、アッタール、ルーミー、サアディーによりガザルが詠まれたことは記述の通りであるが、ハーフィズはペルシア文学と神秘主義とを完全に一致させた。ガザルはペルシア詩の精髄と評されている。これはカスィーダとともにアラビア起源の詩形で韻律は同一であるが内容、長さにおいて両者は異なる。カスィーダは頌詩を主体とし、教訓、哲学、宗教を主題として詠まれ、その長さに制限はないが、ガザルは抒情詩、恋愛詩で長さは通常10句ないし15・6句を超えることは稀である。ハーフィズはこの詩形により、地上の恋人の中の神の形に似た超地上的な美を見出し、地上の一切の快楽を象徴的に表現した。 15世紀になると、ペルシア文学に衰退の兆しが現れたが、古典時代の最後を飾り、燦然たる光輝を放ったのは、神秘主義最後の大詩人ジャーミーであった。彼の題材はユニークなものではなく、以前の詩人たちも用いたが、彼はそれに神秘主義の象徴的意味を与えた。マスナヴィー詩形による代表作「七つの王座」のなかで、ロマンスを単なるロマンスに終わらせることなく、文学的に昇華し神秘主義的解釈を行った。彼の作品にはマスナヴィーの他にガザルを主体とした詩集もある。 この他にもイラーキー、シャビスタリー、アウハディー、マグリビー等幾多の神秘主義詩人が輩出した。
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