神秘主義詩とは? わかりやすく解説

神秘主義詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:10 UTC 版)

ペルシア文学」の記事における「神秘主義詩」の解説

ペルシア詩のなかでも、もっとも注目すべきは神秘主義詩であり、11世紀以降ほとんどの詩人直接・間接にこの思想の影響受けた神秘主義ペルシア文学活力与えと共に同文学によって昇華集大成したともいえる。シブリー次のように述べている。 ペルシアの詩は神秘主義要素導入されるまでは生命なき形骸に過ぎなかった。詩作とは元来感情発露を示すもので、神秘主義以前には詩的熱情存在しなかった。カスィーダ頌詩追従にすぎず、マスナヴィー出来事描写で、ガザル言葉羅列とどまった神秘主義の本来の要素は、真実愛であり、それは徹頭徹尾熱情である。真実の愛のおかげで比喩価値生じ、その焔は全ての詩人の心を燃やし今やせられる言葉情熱を欠くことがなかった。 このような神秘主義思想ペルシア詩に最初に導入したのは、シーラーズのバーバー・クーヒーであるという。彼は同じく同地出身著名なスーフィーで、ハッラージュ処刑目撃したイブン・ハフィーフの弟子であった。しかし説を否定する研究者もいる。 多く研究者意見一致している最初の神秘主義詩人はアブー・サイード・ビン・アビー・ル・ハイルである。彼は詩人というよりはむしろ偉大なスーフィーとして名高く、バーヤズィードの流れをくむ陶酔神秘主義者であった。Kashf-ul-Mahjoobの著者Ali Hujwiriは、彼を評して「愛の人の帝王スーフィーたちの王者の中の王者」と呼んでいる。彼はこの思想表現形式としてルバーイー用いた11世紀にはこの詩形用いた三大神秘主義詩人が現れた。アブー・サイードの他にバーバー・ターヒル・ウルヤーン、アブドッラー・アンサーリーである。アブー・サイード四行詩に関してニコルソン疑問抱き主としてそれらは彼の作品ではないと述べているが、イラン碩学サイード・ナフィースィーは自ら校訂しアブー・サイード詩集720首を集録し、その真正主張している。 初期の神秘主義詩人たちが何故ルバーイー表現形式にしたかは容易な問題ではないが、バーヤズィードの流れを含む陶酔的、感情的神秘主義表現にはこの端的な詩形を最もふさわしかったであろう12世紀になると、表現形式主としてマスナヴィー詩形変化した。この詩形最初に神秘主義表現形式とした詩人サナーイーであった。彼は初めガズニー朝仕えた宮廷頌詩であったが、のちに神秘主義の道に入り1131年真理の園」と題する神秘主義詩を詠み神秘主義詩人として地位確立した。 彼はこの他に「下僕巡礼」、「立証の道」等を試作した彼の試作によりペルシア文学における神秘主義感情的神秘主義から思弁神秘主義移行した詩人として彼は他の詩形にも優れ、特にガザルにおいては先駆者みなされている。 アッタールは、12世紀後半から13世紀前半にかけて、サナーイーに次ぐマスナヴィー詩形大神主義詩人である。数多い彼の作品中でも、「神秘の書」、「神の書」、「鳥の言葉」は特に名高い中でも比喩表現において最後作品独自に地位占めている。彼のガザル作品注目に値するサナーイーアッタールペルシア文学における神秘主義最高詩人ルーミー先駆者で、彼をして「アッタール彼の魂、サナーイーはその両眼我らサナーイーアッタール跡を追った」と言わしめた。 13世紀においてルーミー出現により、ペルシア神秘主義文学は最頂点達したアラビア文字においても13世紀前半はイブン・アル・ファーリド、イブン・アラビーの二大神主義詩人活躍した時代で、13世紀ペルシアのみならず広くイスラーム圏において神秘主義文学が最も栄えた時代と言えよう。 ルーミー同時代シーラーズ出身サアディーも、ルーミー並んで13世紀代表する大神主義詩人であったルーミーサアディーとの大きな相違は、前者作品純然たる神秘主義作品思弁神秘主義極致であるのに対し後者作品神秘主義実践強調した作品で、倫理的神秘主義極致といえるルバーイーマスナヴィー主たる表現形式としてきペルシア神秘主義ガザルによって最高度に官能的に表現された。これは14世紀ハーフェズによって完成されといえる。彼以前にもサナーイーアッタールルーミーサアディーによりガザル詠まれたことは記述通りであるが、ハーフィズペルシア文学神秘主義とを完全に一致させた。ガザルペルシア詩の精髄評されている。これはカスィーダとともにアラビア起源詩形韻律同一であるが内容長さにおいて両者異なる。カスィーダ頌詩主体とし、教訓哲学宗教主題として詠まれ、その長さ制限はないが、ガザル抒情詩恋愛詩で長さ通常10句ないし15・6句を超えることは稀である。ハーフィズはこの詩形により、地上の恋人の中の神の形に似た地上的な美を見出し地上一切快楽象徴的に表現した15世紀になると、ペルシア文学衰退兆し現れたが、古典時代最後飾り燦然たる光輝放ったのは、神秘主義最後の大詩人ジャーミーであった彼の題材ユニークなものではなく以前詩人たちも用いたが、彼はそれに神秘主義象徴的意味与えたマスナヴィー詩形による代表作七つ王座」のなかで、ロマンス単なるロマンス終わらせることなく文学的に昇華し神秘主義的解釈行った彼の作品にはマスナヴィーの他にガザル主体とした詩集もある。 この他にもイラーキー、シャビスタリー、アウハディー、マグリビー等幾多の神秘主義詩人が輩出した

※この「神秘主義詩」の解説は、「ペルシア文学」の解説の一部です。
「神秘主義詩」を含む「ペルシア文学」の記事については、「ペルシア文学」の概要を参照ください。

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