セルジューク朝時代〜
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「ペルシア文学」の記事における「セルジューク朝時代〜」の解説
セルジューク朝期初頭にはホラーサーン太守トゥガーン・シャー(アラビア語版)に仕えた頌詩詩人アズラキーが現れ、12世紀後半になると宮廷詩人の黄金時代が再び到来し、ムィッズィー(英語版)、アンヴァリー、ハーカーニー(英語版)が活躍した。アンヴァリーとハーカーニーは、黒柳によれば「ペルシア文学史上における頌詩の双璧」であった。また、ガズナ朝桂冠詩人ハーカーニーはロマンス叙事詩を確立した。そのほかにもこの時代に活躍した詩人としてアムアクやヴァトヴァート、アゼルバイジャン詩人のカトラーンやアサディーを挙げることができる。この時代に従来は主にイラン東北地方を中心に繁栄したこの文学が、次第に西北地方にも広がって行った。 セルジューク朝時代において、この文学は百花繚乱の様相を帯び、宮廷文学の所産である頌詩の外に、神秘主義思想が文学に導入され、サナーイー、アッタールをはじめとした神秘主義詩人が出現した。 神秘主義詩とともに重要な位置を占めているのが、ロマンス叙事詩である。これを完成させたのがニザーミーであった。 この時代以後、ほとんど全ての偉大な詩人は、この思想の大きな影響を受けて、ペルシア文学の一大特色になった。その代表的な詩人が科学者ウマル・ハイヤームが耽美的な四行詩集『ルバイヤート』を詠じたのは、この時代の初期である。散文の分野でも、政治、歴史、旅行、地理、伝記を題材にした作品が多く書かれた。 13世紀中葉、モンゴルの侵入に続き、モンゴル人の王朝であるイルハン朝が約1世紀の間イランを支配した。この時代には、その時までの宮廷文学が姿を消し、世の中の不安によって神秘主義思想がより一層普遍化した。この方面の最高の詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーが文学を通じてこれを完成の境地にまで到達させた。また実践道徳の大詩人サアディーが、多年にわたる旅行を終えて彼の故郷で2大傑作を著作したのは、13世紀中葉のことだった。この時代の散文文学の特徴は、勅命によって歴史の編纂が盛んだったことである。またこの頃までのペルシア文学は、イラン全域と中央アジアだけではなく、東方のインドと西方のトルコにまで広がった。アミール・ホスローは、インドを代表する著名なペルシア文学の詩人だった。モンゴルを引き継いだトルコ系のティムールの支配下では、文学は次第に下降線をたどるが、この時代の初期には、14世紀を代表する最高の叙情詩人ハーフェズが出現した。15世紀には、文学の中心が現在のアフガニスタン西部にあるヘラートに移リ、そこでの宮廷を中心に文学と芸術が大いに繁栄した。ペルシア文学の古典黄金時代の最後を飾る大詩人ジャーミーが活躍したのも、ここである。 16世紀以後の文学は、それ以前の明白に区分される古典時代に比べて、非常に衰えた。言い換えれば、10世紀から15世紀までがペルシア文学の精華だった。16世紀から18世紀前半にわたって、民族王朝であるサファヴィー朝の時代には、美術、工芸、建築では輝く成果があり、イスラム教シーア派の国教化に伴って宗教書籍が多く出たが、文学史上注目するに値する詩人や作家は皆無に近い。
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