セルズドン男爵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > セルズドン男爵の意味・解説 

セルズドン男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 05:59 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

セルズドン男爵(英:Baron Selsdon)はイギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソン英語版1932年に叙されたことに始まる。[1]本稿では前身となった準男爵位の歴史についても触れる。

歴史

初代準男爵が邸宅としたビュート・ハウス。現在はスコットランド首相官邸となっている。

スコットランドの実業家サー・ミッチェル・トムソン英語版 (1846–1918)エディンバラ大学総長を務めたのち、1900年9月26日に(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(Baronet, of Polmood in the County of Peebles)に叙された。[2][3][4]また彼は同年に勅許を得て、母の姓である「ミッチェル」を加えた「ミッチェル=トムソン」に改姓している。[5]

2代準男爵ウィリアム(1877-1938)は保守党の政治家として活動し、スタンリー・ボールドウィン内閣では郵政大臣英語版を務めている。[6]彼は庶民院議員を辞した後の1932年1月14日に連合王国貴族としてサリー州クロイドンのセルズドン男爵(Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey) に叙されて、貴族院に転じた。[1][4]

彼の息子である2代男爵ピーター(1913-1963)はレーサーとして名を残しており、1949年度ル・マン24時間レースではルイージ・ギネッティ英語版とともに優勝を果たしている。[7]

3代男爵マルコム(1937-)保守党の政治家として活動しており、1999年の貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。[4]

2019年現在、彼が男爵家の当主である。

現当主の保有爵位

現当主である第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソンは、以下の爵位を有する。[4]

  • 第3代サリー州クロイドンのセルズドン男爵(3rd Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey)
    (1932年1月14日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第4代(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(4th Baronet, of Polmood in the County of Peebles)
    (1900年9月26日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧

(ポルムードの)準男爵(1900)

  • 初代準男爵サー・ミッチェル・ミッチェル=トムソン英語版 (1846–1918)
  • 第2代準男爵サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソン英語版(1877-1938)(1932年にセルズドン男爵位創設)

セルズドン男爵(1932)

  • 初代セルズドン男爵ウィリアム・ミッチェル=トムソン英語版 (1877–1938)
  • 第2代セルズドン男爵ピーター・ミッチェル=トムソン (1913–1963)
  • 第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン英語版 (1937-)

法定推定相続人は現当主の息子コーラム・マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン閣下(1969-)。

脚注

  1. ^ a b No.33790”. The Gazette 15 January 1932. 2019年11月14日閲覧。
  2. ^ No.27254”. The Gazette 7 December 1900. 2019年11月14日閲覧。
  3. ^ Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003.
  4. ^ a b c d Selsdon, Baron (UK, 1932)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月14日閲覧。
  5. ^ No.27239”. The Gazette 19 October 1900. 2019年11月14日閲覧。
  6. ^ "Lord Selsdon". The Times. The Times Digital Archive. 27 December 1938. p. 10.
  7. ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』, p. 223.

関連項目

参考文献


セルズドン男爵(1932)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 05:59 UTC 版)

「セルズドン男爵」の記事における「セルズドン男爵(1932)」の解説

初代セルズドン男爵ウィリアム・ミッチェルトムソン英語版) (1877–1938第2代セルズドン男爵ピーター・ミッチェル=トムソン (1913–1963第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン英語版) (1937-) 法定推定相続人現当主の息子コーラム・マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン閣下1969-)。

※この「セルズドン男爵(1932)」の解説は、「セルズドン男爵」の解説の一部です。
「セルズドン男爵(1932)」を含む「セルズドン男爵」の記事については、「セルズドン男爵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「セルズドン男爵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「セルズドン男爵」の関連用語

セルズドン男爵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



セルズドン男爵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのセルズドン男爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのセルズドン男爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS