セルジューク朝と継承国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:20 UTC 版)
「アゼルバイジャンの軍事史」の記事における「セルジューク朝と継承国」の解説
アゼルバイジャン史の中でもセルジューク朝時代は、現代のアゼルバイジャン・トルコ人の民族言語的国籍を形成するのに役立ったため、アラブの征服よりも重要だった可能性がある。 アッバース朝の衰退後、アゼルバイジャンの領土は、サラリッド、サジド、シャッダード、ラワード、ブワイフなどの多くの王朝の支配下にあった。しかし、11世紀初頭に中央アジアからオグズのチュルク族が押し寄せて来たことで徐々に領土は占領されていった。これらのチュルク王朝でも最初のものはアフガニスタン北部のガズナ朝であり、1030年までにアゼルバイジャンの一部を支配した。その後、オグズの西の支族であるセルジューク族がイランとカフカスのすべてを征服し、さらにイラクにも進出して1055年にバグダッドのブワイフ朝を打倒した。
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