エラム‐ていえん〔‐テイヱン〕【エラム庭園】
エラム庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 07:05 UTC 版)
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エラム庭園
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英名 | The Perisian Garden | ||
仏名 | Le jardin persan | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) | ||
登録年 | 2011年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
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使用方法・表示 |
エラム庭園(エラムていえん、Eram Garden)は、イラン・ファールス州シーラーズにある有名な歴史的ペルシャ庭園。
ペルシャ語の名称であるBagh-é Eram は「楽園の庭」という意味である。広いが、ガージャール朝時代に建てられた際は、軍エリートかファールス州の部族の長がこの複合施設を使用しており後にイラン王族も使うようになった。パフラヴィー朝時代にはPahlavi Universityが保護しつつCollege of Lawとして使用していた。
現在もシーラーズ大学のものではあるが、博物館として一般公開され、Iran's Cultural Heritage Organizationが保護している。
2011年、「ペルシャ式庭園(英語:The Persian Garden、フランス語:Le jardin persan)」の登録名で、他のイラン国内の8つのペルシャ式庭園とともに、UNESCOの世界遺産に登録された[1]。
脚注
- ^ “Six new sites inscribed on UNESCO’s World Heritage List”. UNESCO. 2011年6月28日閲覧。
外部リンク
- The Garden of Paradise (Bagh-e-Eram) - ウェイバックマシン(2009年2月5日アーカイブ分)
エラム庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 20:12 UTC 版)
詳細は「エラム庭園」を参照 エラム庭園 (Bagh-e Eram) は、ファールス州の州都であるシーラーズにある。造営の開始は、セルジューク朝時代(1037年-1193年)とされる。イランを代表する詩人であるハーフィズがエラム庭園について、自らの詩の中で述べるなど、文学史でも重要である。 ザンド朝時代(1749年-1793年)には、エラム庭園は地域の豪族の住居として利用されるようになったが、ザンド朝を次いだガージャール朝第4代シャーのナーセロッディーン・シャー(在位:1848年-1896年)がエラム庭園を買収した。
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