トゥグリル・ベクと「スルタン」の称号
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セルジューク朝時代の貨幣研究によると、トゥグリル・ベクの銘文を持つディーナール金貨はヒジュラ暦433年(1041年-1042年)から没年の455年(1063年)までに、レイ、ニーシャープール、のちにはバグダードで鋳造されていたことが確認されているが、「スルターン」の称号はすでに438年(1046年-1047年)のニーシャープールで発行されたものから現れている。「アル=スルターン・アル=ムアッザム(偉大なる支配者)」という形で現れ、以後没年まで「スルターン」単独では用いられず常に「ムアッザム/アアザム:偉大な」という単語とともに現れている。これと同じくして「シャーハンシャー」の単語も附随して併記されていることも確認されている。 13世紀の歴史家イブン・アル=アスィールはヒジュラ暦446年ラマダーン月(1054年12月4日-1055年1月2日)にトゥグリル・ベクがバグダードへ入城したときに、カリフ・カーイムがバグダードの方々のモスクで彼の名前でフトバが唱えさせた、と述べている。 同じく13世紀の歴史家バル・ヘブラエウスによると、1042年にトゥグリルがイスファハーンの住民を投獄するという事件が発生したおりにカリフ・カーイムは融和政策をとって「ルクヌッディーン・スルターン・トゥグリル・ベク」という称号を贈り、住民迫害をやめるように懇願したという。 いずれにせよ「1055年に『スルターン』の称号を授与された」という説が通説である。
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