神秘主義・否定神学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 18:24 UTC 版)
ナーガールジュナや中観派(帰謬派)は、相手の主張に対する帰謬的否定に頼ったその態度や、「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)に象徴されるような、直感的に分かりづらく、一見矛盾・支離滅裂とすら感じられるような側面に焦点を当てれば、神秘主義・否定神学との近似性が見出される。 仏教学者の中村元は、「縁起」「空」を中心とした中観派の思想を、欧州や中国など、同時代の他地域の思想と比較し、神秘主義の1つである新プラトン主義(ネオプラトニズム)、とりわけ偽ディオニュシウス・アレオパギタらの「否定神学」(神秘神学)を、比較的近しいものとして挙げている。絶対者は否定的にのみ把捉されうるという発想は、インドにおいてはリグ・ヴェーダ、ウパニシャッド哲学(つまりは、ヤージュニャヴァルキヤらの「真我(アートマン)」思想)以来の流れがあり、(釈迦による「無我」「縁起」への深化、および般若経と龍樹によるそれらの継承・焦点化・拡張を経て)この中観派において、それが(徹底した否定(肯定的論証における帰謬/背理の暴き出し)・相対化・関係化として)極致に至りつつ、ついにインド思想(ひいては東洋思想)の主流の一角を占めるまでになるが、それに対して、西洋においてはアリストテレス的(『形而上学』的)実体論(を背景とした『オルガノン』的肯定論証)から抜け出せず、こういった発想はせいぜい神秘主義の中で細々と継承される傍流に過ぎなかったという。 (とはいえ、西洋においても、生成変化する諸現象の背後に変化しない絶対者を想定し、感覚認識を虚偽のものとして否定するエレア派の存在論、「万物流転」を説くヘラクレイトス、抽象概念を論理的に突き詰めると背理に陥ることを明かしたソクラテスの帰謬法(背理法)など、仏教あるいはその前段階の思想と、ある程度の近似性を見せる水準の発想は、古代ギリシャのわりと早い時期に成立・普及していたこともまた、ちゃんと踏まえておく必要がある。) なお、この「空」は、中国の道教における無(虚無)と混同されやすいが、異なるものであることも指摘している。(「有」や「無」といった見解(常見・断見)も、『中論』において明確に否定されている。「空」(शून्यता, Śūnyatā, シューニャター)というのは、「nihil, nothing」(無、虚無) ではなく、「empty」(空っぽ) ということであり、森羅万象が、それ自体として自立的な実体を持っているわけではないということを表している。) また、「空」を基底とした発想は、単なるニヒリズム(虚無主義)であると誤解され、批判を受けやすいが、しかし一方で、こうした排斥も対立も無い真の基底の獲得は、生きとし生けるものへの肯定・慈悲へとつながり、実践を基礎づける効果をもたらす。これは神概念が包括性・完全性を担保し、基底となることで、他者への慈悲・愛へとつなげるキリスト教と(その深度こそ違え)構成的には類似しているという。
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