神秘主義研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:20 UTC 版)
「オルダス・ハクスリー」の記事における「神秘主義研究」の解説
ハクスリーは意識の拡張に関心をもっていた。1944年の著書『永遠の哲学』では古今東西の神秘主義者の思想を引用抜粋し、神的な実在を認識した人間の思想を研究した。特にインドの哲人ジッドゥ・クリシュナムルティとは長年家族ぐるみで親しく交流し、深い影響を受けた。精神科医のハンフリー・オズモンド(英語版)にハクスリー自らが幻覚剤のモルモットとなることを申し出る。1953年春、こうして幻覚剤のメスカリンによる実験が開始された。この時の主観と客観が合一する経験を記述したのが著書『知覚の扉』である。そして、その翌年1954年に『知覚の扉』が出版された。『知覚の扉』は、学者としての冷静な観察眼と作家としての筆力を軸に、仏教や神学や西洋哲学にも言及しながら絵画芸術の比較研究を行っている。『知覚の扉』は、60年代の意識革命の発端として評価が高く、ハーバード大学の幻覚剤研究者であるティモシー・リアリーの理論の主柱となり、リアリーの後継的な存在であるテレンス・マッケナにも大きく影響を与えた。ジョン・C・リリーもハクスリーの著作に強い影響を受けている。 1955年、妻マリアが乳がんのために死去。1956年には、ハクスリーとの文通の際に、ハンフリー・オズモンドがサイケデリックという単語を作り出した。同年にイタリア系アメリカ人のローラ・アーチェラ(アルケーラ)(英語版)と再婚。 晩年には、これまでの神秘主義的な哲学やそのさまざまな分野を縦断する博学を凝縮し、ユートピアを描いた小説『島』を書いた。自著の『島』にモクシャという解脱を誘発する物質が登場していたが、LSDの合成者である科学者のアルバート・ホフマンに『島』を贈呈するとき、「モクシャ剤の発見者ホフマン博士へ」というサインを添えた。
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