悪の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:07 UTC 版)
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事における「悪の問題」の解説
この解答が持つ問題点として、ライプニッツ自身が一番深く悩んだのは「悪の問題(Problem of evil)」というものである。次のような問題である。 全知全能で完全に善なる神様が、最良のものとして、「無からの創造」でこの世界を作ったのなら、なぜこの世界には痛みや苦しみ(つまりは「悪いこと」)があるのだろうか? これはライプニッツが想定していた神が、西洋における一神教的な神、つまり「全知全能で完全に善なる神」であることから来る問題である。すなわち論理的には次のような可能性が議論される。 もし痛みや苦しみがない世界を「作れなかった」、または痛みや苦しみのある現在の世界を「修正できない」のであれば、神は全能ではない。 または世界を作る際にやがて痛みや苦しみが生まれると「予想できなかった」、もしくは痛みや苦しみのある現状を「知らない」、というのであれば神は全知ではない。 または痛みや苦しみがあることを知りつつ、かつそれを修復できるにも拘らず「放置している」のであれば、神は道徳的に完全に善なる存在ではない。 もし上の可能性のどれか一つでもが成り立つならば、「全知全能で完全に善なる神」は存在しない。そうなるとライプニッツが神の存在論的証明の部分で用いた核となる前提、神があらゆる側面について最上級の性質を持つという前提は成り立たなくなる。つまりライプニッツの神の存在証明は破綻する。ライプニッツはこの問題に生涯難渋した。ライプニッツ自身が与えた悪の問題への解答は、次のようなものである。神による世界の評価の基準は、人間と似たものであるとは限らず、こんな世界であっても、神の観点からすればやはり最良の世界なのであろう、というもの。また、悪いことは、神が善いことを決定したあとに、受動的にくっ付いてきた程度のものであり、まず悪いことが望まれたわけではない、ゆえにこれは道徳的に受容可能なものである、といったものである。ここでいう「善いこと」とは人間への自由意志の付与である。悪の問題はユダヤ・キリスト教圏において紀元前から議論されている問題だが、現在も宗教哲学や神学の領域で議論が続いている。
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