神の事柄をめぐる論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:42 UTC 版)
「フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ」の記事における「神の事柄をめぐる論争」の解説
「神的事物論争」を参照 1811年『神の事柄とその啓示について』におけるヤコービのシェリング同一哲学批判と、翌年1812年におけるシェリングの『ヤコービ氏の著作神の事柄についての記念碑』における反論を直接的には指示する。この論争は先行する汎神論論争、無神論論争とも密接に関連し、19世紀前半を支配した宗教哲学をめぐる問題点を表立たせるとともに、それらを総括する意味合いをも持っている。 論争の間接的な火種は、シェリングの影響下でヘーゲルが1802年に発表した論文「信仰と知」にある。それに対して、ヤコービは『ケッペン宛三書簡』で応答してはいたが、1803年それまでシェリング側に立っていたエッシェンマイアーが『哲学の非哲学への移行』を書いてヤコービ側にシフト、「無限者から有限者への移行」の不可能性という論点のもとで、シェリングの同一哲学を批判した。それに応戦する形でシェリングは1804年に『哲学と宗教』を執筆、1809年の『人間的自由の本質』にまでつながる見解(悪の問題や堕落)を用意した。 この展開を1811年のヤコービがどの程度ふまえていたかは問題である。というのもヤコービのシェリング批判は『自由論』で展開された哲学というよりも、おもに彼の同一哲学に向けられていたからである。
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