哲学と宗教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:53 UTC 版)
哲学と宗教は共に神の存在に関連している分野である。そのため厳密な区分は難しい。宗教と神学と哲学の境界は必ずしもはっきりしない。ただ、合理的な追求を試みる態度によって異なっている、とする人もいる。 西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。この点古代ギリシア人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。 オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう。 宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰生活(実践)に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ業績を残した人もいれば、実践を重んじ困っている人を助けることを日々実行する人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めた。ただし、知的なだけでなく、人格的にも傑出した哲学者に限れば、人々の尊敬を広く集めた。 また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられることがある。宗教ごとに性質はことなるのでひとくくりに語ることは難しいが、例えばアブラハムの宗教など)には信仰の遵守を求めるドグマ性がある、時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面があるとして、比較されることはある。 18世紀~19世紀ごろから自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている 一方、古代から、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もあり、これは現代でも支持者がいる。 中世哲学研究者の八木雄二は、「神について学問的分析をすることを『神学』と呼び、自然的な事柄全般についての学問的分析を『哲学』と呼」ぶのが一般的風潮であると提言したうえで、それを翻して、「哲学とは理性が吟味を全体的に行うことと理解すれば、キリスト教信仰を前提にしたあらゆる理性的吟味は、キリスト教哲学ということもできるし神学と呼ぶこともできる」と自説を主張している。つまり、哲学を理性的な吟味を行うことと定義し、その定義より神学は哲学に含まれると述べているのである。 フランシス・マクドナルド・コーンフォードは著書『宗教から哲学へ―ヨーロッパ的思惟の起源の研究』で、「哲学は、神話・宗教を母体とし、これを理性化することによって生まれてきた」といった哲学史観を示している。これは今日一般的な哲学観であり、中世哲学史家のエティエンヌ・ジルソン、科学哲学者のカール・ポパー もこれと同じ哲学観を持っている。 哲学と思想、文学や宗教の関係について、相愛大学人文学部教授の釈徹宗は「哲学や思想や文学と、宗教や霊性論との線引きも不明瞭になってきています。」と述べている。哲学者・倫理学者である内田樹は、「本物の哲学者はみんな死者と幽霊と異界の話をしている。」と述べている。
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哲学と宗教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 16:07 UTC 版)
宗教面では当然ながらカトリックが支配的であり、神の摂理と恩寵がしばしば強調され、地上のあらゆる出来事は天国へ向かうための手段と位置づけられた。いっぽう、17世紀のポーランドではシュラフタの2割程度がカルヴァン派プロテスタントであり、この影響も強かった。懺悔は永遠の拷罰をから逃れるための恥ずべき方便と考えられ、神は万物を睥睨しその万物はすべて意味を持っているとされた。人々はミサ、贖罪、巡礼などの宗教生活に進んで参加した。聖母マリアを始めとする聖人とその受難への崇敬にも人々は熱心だった。
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