哲学との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 19:05 UTC 版)
松果体が内分泌器であることが分かったのは、比較的最近である。脳内の奥深くにあることから、哲学者は松果体には重要な機能があると考えていた。松果体の存在は神秘なものとされた。 デカルトはこの世界には物質と精神という根本的に異なる2つの実体があるとし(現代の哲学者たちの間ではこうした考え方は実体二元論と呼ばれている)、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし、そこを「魂のありか」と呼んだ。松果体が人間の脳の中で左右に分かれていない唯一の器官であると信じていたためである。この観察は正確ではない。顕微鏡下では、松果体が2つの大脳半球に分かれているのが観察できる。松果体に関するほかの理論としては、流体を放出するバルブとして働いているというものがあった。手を頭に当てて思索を行うと、そのバルブを開くことができると考えられていた。 松果体は、ヨーガにおける6番目のチャクラ(アージュニャーまたは第3の目)、または7番目のチャクラ(サハスラーラ)と結び付けられることもある。松果体は眠っている器官であり、目覚めるとテレパシーが使えるようになると信じる人もいる。 ディスコーディアニズム(en:Discordianism)と松果体の関係は(よく分からないが)重要である。ディスコーディアニズムは、カリフォルニアのサイケデリック文化を基とするパロディ宗教で、教義はパラドックスに満ちている。 ニューエイジ運動の初期の指導者であるアリス・ベイリーのような作家は、精神的な世界観において「松果体の目」を重要な要素としている(アリス・ベイリーの『ホワイトマジック』を参照)。 「松果体の目」という観念は、フランスの作家ジョルジュ・バタイユの哲学でも重要なものである。批評家ドゥニ・オリエはla Prise de la Concordeの中で、バタイユは「松果体の目」の概念を西洋の合理性における盲点への参照として使っていると論じている。
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