哲学と政治思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:43 UTC 版)
「近親愛」も参照 プラトンの『国家』では、近親相姦の禁止について論じた対話が載せられているが、近親相姦を禁止するといっても具体的に父と娘の如き親族関係はいかにして定めればよいのかという問題に関しては、婚姻関係から親子関係を推定すればよいではないかという意見が載せられている。比較的緩い形で近親相姦の禁止を設けていた社会も存在し、ギリシアなどでは兄弟姉妹婚には寛容であったのだが、これは近親相姦を容認していたというわけではなく、プラトンの『国家』では娘や娘の子供達や母や母方の祖母などとの性関係は許されないとしている。これは男性側の話であり、女性の場合は息子と息子の息子や父と父の父親との性関係が禁じられると『国家』はその後に続けている。 キティオンのストア派古代ギリシア哲学者ゼノンは、「母親の局部を自分の局部で擦るのはおかしなことではない。母親の身体の他の部分を手で触ることを誰もおかしいと言わないように」という見解を持った。また、ストア派のクリュシッポスは、多くの人たちの間で正当な行いとされている通りに、父親は娘によって、母親は息子によって、兄弟は姉妹によって子供を作るのがよいと思われると述べている。また、母親や娘、姉妹と交わることは非合理ではなく、自然本性に反していないと判定しなければならないとしている。ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』で、クリュシッポスとキニク派のディオゲネスの近親姦擁護論について触れ、諸々の物体として認識されている物体が実はその深層において混在状態にあるという考えが近親姦擁護論の背景にあると指摘している。ディオゲネスはオイディプスが言うような家族関係の混乱など、犬や驢馬にとってはどうでもいいことだと論じたと伝えられている。 ストア派において、近親者間の性交を認める論は複数見られたが、エピクロス派の創始者であるエピクロスも母親や姉妹と交わることを教えた。 劉邦は自らの部下となった陳平が兄嫁と性的関係を持ったことがあるという噂を聞いて、陳平を紹介した魏無知にどういうことだと追求したが、魏無知は品行方正なだけの役立たずでは困ると考えたためだと反論し、その後も劉邦は陳平を部下として使い続けたとされる。陳平の実名は伏せられているが、陳寿の『三国志』によれば曹操も陳平と魏無知に関する故事を引いて、今は不安定な世の中なので才能さえあればいかなる人物でも採用するという布告を210年に出したという。 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、『精神現象学』での共同体の法を論じる部分でオイディプスとその母イオカステの娘であるアンティゴネーを扱ったソポクレスの『アンティゴネ』の肉親への愛を語る場面を引き合いに出している。ヘーゲルは家族の関係のうち、人倫的本質を予感する可能性という面において夫と妻よりも兄と妹、姉と弟を重視しており、男女関係を論じるにおいて混じり気のない関係は兄と妹の間にあると述べている。兄と妹は同じ血縁で、この血縁は両者において安定し、均衡を得ているため、互いに情欲を持ち合うこともなく、互いに自由な個人性である。そのため、女性は妹か姉であるとき、人倫的本質を最も高く予感しているとする。また、兄と妹、姉と弟の関係は血縁の均衡と欲望のない関係に結びついているため、兄弟を失うことは姉妹にとって償い得ないことであり、兄弟に対する姉妹の義務は最高のものであると論じている。一方、ヘーゲルは自身の妹のクリスティアーネと激越な悲劇的欲求を帯びた関係を構築しており、他の家族や夫婦の縁を副次的なものに押しやってしまっていたとの指摘がある。クリスティアーネは兄を深く敬慕しており、ヘーゲルの妻に対し激しい嫉妬を感じていた。吉本隆明は、ヘーゲルの兄妹論に沿った見解を述べており、家族のうち、兄と妹、姉と弟の関係だけは空間的にどれほど隔たってもほとんど無傷で、対なる幻想としての本質を保つことができると論じている。それは、兄と妹、姉と弟が自発的な性行為を伴わずに、男性または女性であり得るからだとする。一方、ジュディス・バトラーはアンティゴネーが従っているのは神々の法であってヘーゲルのように共同体の法を持ち出すのはおかしいといった感じの論陣を張るが、このバトラーの考えの背景についてそもそもアンティゴネー自身近親相姦によって生まれたわけだし、アンティゴネーやポリュネイケースはオイディプスにとって妹や弟であるという事情があると仲正昌樹は解説している。また、ヘーゲルは『法哲学講義』においては、オイディプスのように自らの意志に咎がなかったとしても結果が悪い方向に向いた場合は、その責任を負うことで英雄視されると論ずる。ただし、古田徹也はソポクレスの描くオイディプスの自罰行為はやり過ぎだという見方もあるだろうとして、道徳的な義務としてオイディプスの例を捉えることについては批判的な立場をとった。 空想的社会主義の思想家とされるシャルル・フーリエは、『愛の新世界』において傍系の場合の近親姦を擁護する論陣を張った。シャルル・フーリエは家族制度の廃止によって近親相姦を許可し、子供は託児所で社会が育てる形にすればよいと主張したのだが、過激だということで『愛の新世界』は長らく公にされることはなかった。ニカラグアの大統領になったダニエル・オルテガにはかつて継娘と性的関係を結んだという話があるが、本人はニカラグア武闘派左翼の革命運動組織であるサンディニスタ民族解放戦線の活動をする上で性欲を解消することは必要だったと弁明した。 エーリッヒ・フロムは、ネクロフィリア、ナルシシズムと近親相姦的共生が極端な形態で混合したものを「衰退のシンドローム」と呼び、その具体例がアドルフ・ヒトラーであると論じた。アドルフ・ヒトラーは自らの民族を梅毒やユダヤ人から守らねばならないと主張したが、この『我が闘争』で述べられたような主張がヒトラーの近親相姦的固着を表しているとエーリッヒ・フロムは主張した。毛沢東は14歳のとき親戚の18歳の女性と結婚させられたが、学費を援助してもらうためであって正直こんな結婚はしたくなかったらしく、中国の封建的な結婚制度を「間接強姦」だと言い出したのはこの経験が原因ではないかという解釈が、ユン・チアンとジョン・ハリデイの共書である『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』に載せられている。ミシェル・フーコーは『性の歴史I 知への意志』で、そもそも家族とは婚姻という形で性欲を封印する場として存在するものなのだが、18世紀以降の西ヨーロッパではそこを情緒的な繋がりの場となったため、家族がインセストを教唆する格好になってしまっていると論じた。 ジル・ドゥルーズは1956年から1957年にかけリセ・ルイ=ル=グランで行った「基礎づけるとは何か」という題が付された講義において、セーレン・キェルケゴールが『誘惑者の日記』において恋人を同居する妹に譬えている場面があることに触れ、キェルケゴールにとっては婚約者が哲学的概念と化していたと論じたと伝えられる。ジル・ドゥルーズは「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズム」において、近親相姦といえば恋愛の話だと思われているわけなのだが、実際にはそれは前性器的な性に回帰するという前提の下で恋愛だと思われているのだと指摘した。 女性という存在の劣等性を主張していたという医師の娘として育ち、後に日本における第二派フェミニズムの先駆けとなった飯島愛子は、遺稿である「生きる――あるフェミニストの半生」の中で「私は父にレイプされることすら想像した。もっとも恥ずべき行為を父にさせることによって復しゅうする」と述べ(2006年に出版された遺稿集である『〈侵略=差別〉の彼方へ――あるフェミニストの半生』の91頁に収録されている)、上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』でもそのまま引用されている。 小川仁志 (2013) によれば、国家機能を縮小させ個人の自由を徹底的に尊重するリバタリアニズムという思想の立場に立てば、自由を主張し結婚制度を終了させ近親相姦でも何でも好きなようにやればよいという論理が成り立つが、周囲を不快にさせるようなことまで自由だというのはおかしいということで、この思想を非難する声が上がっているという。鷲田小彌太 (2016) は、人間は放っておくと欲望を際限なく追求してしまうものであり、だからこそ食人や近親相姦や殺人は禁忌とされているのだと論じた。 高橋和巳は、父親に性的虐待を受けた女性の話として、同一の現象に対し別々の認知が生じうるという認知論は受け入れやすかったが、人間の存在意義は社会など外部的評価と切り離して解明されるべきだという存在論は、社会との繋がりを前提としているため、結論が当然のことと化している自分にとっては違和感があり、少し腹立たしくもなったという話を著書に載せている。
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