哲学と広報
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「エドワード・バーネイズ」の記事における「哲学と広報」の解説
1995年にバーネイズの死と同時に公表された複数の論文は、20世紀を舞台として彼が得た多くの知見を含むものであった。回顧録のうちアイデア回想録の初期の草稿として書かれた論文を含むものはクーリッジの大量消費主義のコレクションに選ばれている。 1919年から1963年にかけて、ニューヨークでのバーネイズのスタイルは一貫して「広報の助言者」であった。彼は、自身とそれ以外の広告について、顕著な差異を持っていた。緻密な企業広告キャンペーンと消費者向けの多重媒体の利用を編成していく中枢人物が行った公的な社会科学研究として、1933年に出された彼の著書「合衆国における近代社会動向」は重要視されてきた。 バーネイズは内心、プロパガンダと意図的に作り上げられたニュースを、それまでの広報マンと違う方法によって大衆を動かす、倫理的正当性をもったビジネスのための合法的な道具だと考えていた。 バーネイズのエッセイ「プロパガンダのビジネス」で、彼は広報マンを新しいアイデアや物を大衆に受け入れさせる特殊な嘆願者として見ている。一方で、彼は広報顧問をラルフ・ウォルドー・エマーソン的な超越主義者にも似た新しい価値観の創造者、あるいは社会における政治指導者の行動に影響を与える存在として見ている。(しかしながらインドの精神文化や、その物質主義への批判に心酔していた超越主義者のエマーソンと企業宣伝のために努力していたバーネイズを本質的に同質と考えるのは難があるといえる。) バーネイズの見解としては、個々の人間の本能的な力や相互的生物的な活動は、ヒトラー支配下のドイツにみられるように本質的に危険なものであり、一部の社会的エリートの経済的利益のために抑制され、操作されるものであった。大量生産の利用と巨大ビジネスは、本質的に不合理で、かつ欲望によって動く大衆の絶え間ない欲望を満たすことに成功したけれども、同時に、統制を失えば一瞬にして社会を分断の危機に陥れる危険な動物たちの欲望を満たし続けなければならない状況に陥っていた。バーネイズの尊大かつ哲学的な言及は、1928年に刊行された「大衆世論の操作」に端的に表れている。ここで彼は「今や大量生産の時代である。物質の大量生産においては、その流通のために幅広い技術開発が行われ、利用されている。現代においても、大衆への思想の流通のための技術は必要不可欠である。」と書いている。彼自身「プロパガンダのビジネス(1928年)」の中でも『広報助言者は社会的責任のある立場を引き継いだり、為政者の直属の部下となってはいけない」と警鐘を鳴らすなど、プロパガンダの危険性には気が付いているが、その一方で、1928年の著書「プロパガンダ」において、バーネイズは世論操作は民主主義の必要な一部であると主張している。 組織的行動や大衆意見に対する意図的かつ巧妙な操作は、民主主義社会の重要な要素である。社会の見えないメカニズムを操作する者は、真の意味で国家権力を支配する見えない政府を作り上げる。我々は、聞いたこともない人々によって支配され、私たちの思考はその支配者によって形作られ、経験が形作られ、思想は提案されるのだ。これが我々の民主主義を形成する手段の、論理的帰結なのだ。大量の人間が円滑に社会を回しながらともに生活していこうとするならば、皆がこのやり方に従っていかねばならない。 社会的合意や倫理的考えや、政治的、経済的な行動など、私たちの日常生活のほとんどすべての行動は、心理的プロセスや大衆の社会パターンを理解した比較的少数の人々によって支配される。 マーリン・ピューに代表されるオピニオン誌の記事において「現代のマキャベリズム」として批判されたり、エベレット・ディーン・マーティンのとの討論会「我々はプロパガンダの犠牲者か?」において批判的に取り上げられた。報道もまた広告によって成り立ってはいるが、バーネイズら広告事業者は、たびたびプロパガンダ首謀者や詐欺的操作者として報道関係者からも批判を浴びることとなった。
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