ばい‐どく【梅毒/×黴毒】
梅毒
梅毒 ( syphilis )
梅毒 (ばいどく)
参考:妊娠期に知っておきたい感染症と予防接種情報
梅毒
【概要】 性感染のHIV感染者では初診時に評価を行うことが大切。梅毒トレポネーマという原虫の感染症。感染症予防法では第5類で全数報告となっている。1955年前後に患者発生は激減、その後増加、1990年代はエイズパニックで減少、その後再々上昇している。輸血は検査を導入以後、感染例はない。母子感染が数件あり、年間800件程度の感染は性行為による。2001年度の献血での陽性頻度は約0.2%であった。性感染で発見されるHIV感染者での陽性率は数十%とかなり高い。
【症状】 潜伏期間ほぼ3週間。第1期;大豆大までの硬結、潰瘍が男性では亀頭、包皮、陰茎(ペニス)に、女性では陰唇、膣入口にできる。痛みはない。第2期;感染3ケ月以降にバラ疹、丘疹、膿疱、扁平コンジローム、梅毒性脱毛、粘膜疹ができる。第1期と第2期を早期梅毒という。晩期梅毒;結節、ゴム腫、血管系梅毒、神経梅毒(進行麻痺、脊髄癆)など。症状があるのを顕性梅毒、無症状な状態を潜伏梅毒と言う。
【治療】 症状と血液検査の結果で決める。ペニシリンが中心。最低1ケ月はかける。
【URL】http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k01_g3/k01_49/k01_49.html
梅毒
梅毒
梅毒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:42 UTC 版)
詳細は「梅毒の歴史」を参照 梅毒は、元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったため「ナポリ病」と称することも多い。 アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。日本で流行する前に琉球王国、とくにその花柳界で大流行し、古くから花柳界にいる人の罹患率が高かったので、梅毒は「古血」と称され、また、沖縄では梅毒患者のことを「ふるっちゅ」(古い人)と呼ぶようになった。 梅毒の治療薬としては、化学療法を唱えたドイツのパウル・エールリヒとエールリヒの研究所で薬学実験を担当していた日本の医学者秦佐八郎が1910年に発見したサルバルサンという有機ヒ素化合物が有名であり、これは合成物質による世界最初の化学療法剤であった。また、サルバルサンの発見は、のちのペニシリン(1929年)等抗生物質や、サルファ剤(1935年)等の化学療法剤の発見をうながしたのである。
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梅毒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:05 UTC 版)
梅毒は100%ペニシリン感受性であるので、第一期、第二期に対してはアモキシシリンなどが用いられる。
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