てんねん‐とう【天然痘】
【天然痘】(てんねんとう)
Small pox.
天然痘ウィルスによって引き起こされる病。痘瘡(とうそう)とも。
極めて伝染力が強く、致死率も高く、人類に対して最も脅威を与えた病原体の一つである。
感染経路は主に飛沫と接触。潜伏期間は1~2週間。
発症初期の2~3日ほどは40℃前後の高熱、咳、頭痛など風邪に近い自覚症状を発する。
その後症状は一時改善するが、顔や全身に醜い水疱が出現。この時の痕は完治しない。
7日~9日目に再び高熱を発し、また水疱が内臓にも生じる。
致死率は30~50%。死に至る事例の多くは肺の損傷による呼吸不全が直接の死因となる。
発症後に有効な治療法は存在しないが、発症後2~3週間生存すれば免疫抗体により完治する。
免疫抗体は生涯に渡って維持され、一生の間に二度以上罹患する事はまずない。
1798年、イギリスのエドワード・ジェンナーが天然痘ワクチンを開発している。
現代では対症療法も確立しており、感染後4日以内に適切な治療を受けられれば確実に助かる。
1958年からは国連の世界保健機関(WHO)が「世界天然痘根絶計画」を実施。
1980年、1977年以降に新たな患者が世界で一例も確認されなかった事実を根拠として完遂が宣言された。
現在、天然痘ウィルスは自然界から根絶され、どこにも存在しないものと推定されている。
ただし、研究所・医療機関では今も天然痘ウィルスが培養保存されている。
旧ソ連で生物兵器用に培養された天然痘ウィルスが流出したという真偽不明の報告もある。
また、生物兵器として秘密裏に天然痘ウィルスを保有している疑いのある軍隊・研究機関も数多い。
天然痘がほぼ根絶された1976年以降、天然痘の予防接種は行われていない。
予防接種による免疫は5~10年で消失するため、天然痘の免疫を持つ人間は今では皆無に近い。
そのため、生物兵器としてテロに使用された場合には甚大な被害が予想される。
現代でも軍隊が海外派遣される際には将兵に天然痘ワクチンが投与される事がある。
関連:NBC兵器 大量破壊兵器
生物兵器としての使用例
歴史上では、大航海時代にアメリカ大陸で発生した大疫禍が特に有名。
当時、「新大陸」を求めて探検・入植してきた西洋人の多くは天然痘ウィルスの保菌者であった。
そしてアメリカ大陸に当時まだ天然痘は存在せず、現地人は天然痘に対して一切の免疫を持たなかった。
結果、現地で天然痘が大流行。アステカやインカなど中南米諸国民の過半数が死亡するまでに至った。
その大混乱に乗じてスペイン人らが征服・掠奪・虐殺を繰り返し、当時の中南米諸国家は消滅の憂き目を見た。
これは当初、純然たる事故であった。しかし、やがて天然痘は「民族浄化」に活用されるようになる。
当時の入植者の多くは天然痘からの生還者か、種痘を受けた人々であり、天然痘に免疫を持っていた。
しかし一方で南北アメリカ先住民は天然痘に免疫がなく、感染を避ける衛生観念さえなかった。
結果、「天然痘患者が使った毛布などの日用品」は生物兵器として人類史上最も劇的な戦果を挙げている。
天然痘
痘瘡ウイルスを病原体とする感染症で、感染後高熱と全身の皮膚や粘膜に水痘様の発疹が多数あらわれる。天然痘は世界各地で約3000年前から、人類の歴史を変えるほどの大流行を繰り返してきた。特に乳幼児にとっては最大の病気で、これから回復しても瘢痕を残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられていた。
痘瘡ウイルスはヒトにのみ感染するという疫学的特性と終生免疫が成立する種痘ワクチンを武器として、WHOが1958年から撲滅作戦を展開した結果、天然痘は1977年、ソマリアの青年の患者を最後に報告されておらず、1980年世界保健総会において根絶宣言が出された。(その後、実験室感染が数件報告されている)。天然痘は、撲滅宣言が出された唯一の感染症である。
WHOの作戦とは、天然痘患者が発生すると、その発病1ヶ月前から患者に接触した人々を対象として種痘を行い、ウイルスの伝播・拡散を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐことであった。これはモッピングと言われる戦略で、ポリオ根絶対策でも現在用いられている。
痘瘡ウイルスは現在、米国とロシアのレベル4施設で厳重に管理されているが、近年、これを用いたバイオテロの危険性が叫ばれ、新たな局面を迎えている。(玉城英彦)
参考URL:WHO天然痘ホームページ http://www.who.int/topics/smallpox/en/
天然痘
【英】:smallpox,variola
天然痘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 06:44 UTC 版)
天然痘(てんねんとう、variola, smallpox)は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである[1][2]。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年の大村藩の医師の文書が初出である[3]。ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い[注 1][4]。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。1980年、世界保健機関(WHO)により根絶が宣言された。人類史上初にして唯一、根絶に成功した感染症の例である。
注釈
出典
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天然痘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:42 UTC 版)
詳細は「天然痘#歴史」を参照 天然痘は、有史以来、高い死亡率、治癒しても瘢痕を残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である。痘瘡ともいい、天然痘ウイルスによる高熱、嘔吐、腰痛があり、全身に発疹する。すでに1万年前にはヒトの病気であったらしい。天然痘で死亡したと確認されている最古の患者は古代エジプトの第20王朝のファラオラムセス5世であり、ミイラの頭部に天然痘の痘庖があることを確認している。彼は紀元前1157年に死亡したとみられる。 165年のパルティア遠征中のローマ軍のなかで発生し、こののちローマ帝国内で流行したといわれる伝染病は、こんにちでは天然痘であると考えられており、これによりローマは深刻な兵力不足に陥って、国力衰亡の原因のひとつとなった。 天然痘は4世紀以来、アジア各地で流行している。中国では、ジェンナー(後述)による種痘(牛痘)が試みられる前から、発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘がさかんにおこなわれていた。日本では、律令国家の完成期で中央集権化が急速に進んだ奈良時代に天然痘が大流行し、天平7年(735年)から天平10年(738年)の流行では総人口の約3割が死亡したという試算もある。好んで宴会をひらいた藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4兄弟(藤原不比等の子)は天然痘にかかって相次いで死去し、ときの最大権力者で不比等の孫ないし女婿にもあたる聖武天皇が東大寺大仏を建立することを決めた背景には、疫病をどうにかして鎮めたいという強い意思があったと考えられる。 16世紀にスペインがアメリカ大陸を侵略した際、このウイルスを持ち込み、奴隷労働とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となった。W.H.マクニールは、エルナン・コルテスが1521年に600人弱の部下で数百万の民を擁するアステカ王国を軍事的に征服したのみならず、文化的、精神的にも征服しえたのは、コルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず、従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている。 1533年のフランシスコ・ピサロによるインカ帝国の征服も、それに先だって中央アフリカから帝代のコロンビアの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり、人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる。1526年にはインカ皇帝のワイナ・カパックや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが、後継者とされたニナン・クヨチもまた天然痘で命を落としてしまった。そのため王位をめぐる争いがアタワルパとワスカルの異母兄弟のあいだで起こった。圧倒的少数者であったピサロが勝利できたのは、鉄製の武器や馬の使用によるところが大きかった。しかし、天然痘ウイルスによって人口が急激に減少したインカ帝国は、スペイン軍が侵入したとき、すでに内乱をかかえ、崩壊寸前であった。アステカ、インカの両帝国の崩壊はいずれも馬や鉄器、火砲をもたない軍事的敗北の結果といわれるが、それ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が大きな要因だったのである。 17世紀前半には北アメリカ東部のインディアンで天然痘が流行している。また、18世紀のフレンチ・インディアン戦争では、イギリス軍により生物兵器としてインディアン殲滅を目的に使用された例がある。また、アメリカ独立戦争では、英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったが、このとき独立軍に天然痘が流行したといわれる。なお、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも11歳のとき天然痘にかかり、その痕跡がいくつもあったといわれている。 1721年、オスマン帝国で発達したトルコの人痘接種法がヨーロッパに伝わったが、これは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった。1798年、自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師エドワード・ジェンナーが牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種した。これが世界における予防接種のさきがけであり、一種の人体実験でもあった。ジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこない、また、種痘の乾燥保存に成功した。これは、史上初のワクチンである天然痘ワクチンの嚆矢となった。 以後、種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったが、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは顔にはっきりと痘痕が残っており、天然痘によるものとされている。なお、アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のトマス・ジェファソンがいる。 天然痘は、1958年に世界保健機関(WHO)総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年に中央アフリカと南米から根絶された。1975年、バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアとソマリアが流行地域として残ったが、1977年、ソマリアのアリ・マオ・マーランを最後に天然痘患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行った。 天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアのバイオセーフティーレベル4の施設で厳重に管理されている。天然痘は、ヒトに感染するウイルス性感染症のなかでは、人類が根絶した唯一の感染症である。
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天然痘
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「Plague inc.」の記事における「天然痘」の解説
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天然痘
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「Plague inc.」の記事における「天然痘」の解説
特殊伝染病でのシナリオで、致死性の高い状態からのスタートとなる。
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天然痘
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天然痘は1980年に撲滅がWHOから宣言され、以降種痘の接種は行われなくなった。そのため現在では多くの人が天然痘に対する耐性を持っていない。このような状況で天然痘によるテロが起きた場合、速やかな対処は不可能である。撲滅宣言後にも、ソ連は天然痘ウイルスを生物兵器として極秘に量産、備蓄しており、ソ連崩壊後にウイルス株や生物兵器技術が流出した可能性が指摘されている。 万が一の事態に備え、各国では天然痘に限らず、各種ウイルスに対するワクチンの保管をある程度行っている。アメリカ合衆国連邦政府はバイオテロなどに備えて、全国民に接種できる量の天然痘ワクチンの備蓄を決定し、2001年に1200万人分だった備蓄量を、2010年までに3億人分まで増やしたが、追随する国はない。現状では保険的な意味しか持たないものにそこまで予算をかけるのは難しく、十分な数が確保されているとはいえない。しかも、天然痘ワクチンにはごくまれに重い副作用が起こる場合もあり、万が一のために再び種痘接種を義務化することは好ましくない。
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天然痘
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「Plague Inc.」の記事における「天然痘」の解説
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天然痘
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「イエローカード (予防接種)」の記事における「天然痘」の解説
天然痘は1980年5月8日の根絶宣言の際に、予防接種を原則廃止し証明書の運用も中止することとされた。1981年の規則改定によって規則の文面からも外れている。
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天然痘
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「ラヒマ・バヌ・ベギューム」の記事における「天然痘」の解説
彼女の症例は、1975年10月16日に報告されたが、当時バヌは3歳で、バングラデシュのバリサル県(英語版)にあるボーラ島(英語版)の村クラリア (Kuralia) に住んでいた。彼女の症例は直ちに8歳の少女ビキスネッサ (Bilkisunnessa) によって通報され、少女には 250 タカが支払われた。この症例の情報は直ちに世界保健機構 (WHO) の天然痘撲滅キャンペーンの責任者であったD・A・ヘンダーソン(英語版)に電報で報告された。 WHO の医療団が到着してバヌの治療にあたり、彼女は完全に回復した。1975年11月24日、彼女はもはやウィルスに感染していないことが宣言され、彼女の身体から採取されたウィルスの付いたかさぶたは、アメリカ合衆国の疾病予防管理センター (CDC) のアトランタにある施設に運ばれ、数百件の他のサンプルとともに保管されている。ボーラ島の住民で、接触感染の可能性があった者たちには全員にワクチンが接種され、島内では他に感染者がいないか探索が行われた。彼女の身体から取られたウィルス株は正式には「Bangladesh 1975」と呼ばれたが、非公式に「Rahima strain(ラヒマ株)」とも称された。
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「天然痘」の例文・使い方・用例・文例
- 天然痘に対する免疫
- 私は天然痘に免疫になっている。
- 今ではみんな天然痘には免疫になっている。
- 天然痘に対して免疫性がある.
- 種痘をすれば天然痘には免疫になる.
- 人に天然痘の予防接種を行なう.
- 天然痘であばたになった顔.
- 天然痘に感染する
- 天然痘発生す
- 天然痘にかかる
- 重い天然痘にかかる
- 天然痘にかかっている者がたくさんある
- 種痘ができてから天然痘にかかるものが少なくなった
- 天然痘は跡が残る
- 天然痘、きびまたは他の発疹性皮膚病によるかのように、跡がついた
- それには何千もの子供たちに対する天然痘の検査が必要だった
- 天然痘にかかっている人の小嚢からとった構成要素を影響を受けやすい人に予防接種する旧式の過程
- 環格納は、天然痘流行を止める証明された方法である
- 天然痘ウイルスに緊密に関連するポックスウイルス
- 天然痘のページへのリンク