天然痘の根絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:08 UTC 版)
詳細は「天然痘」を参照 天然痘は20世紀の主要な死因であり、約3億人がこの病気で死亡した。天然痘ウイルスは、おそらくどのウイルスよりも多くの人間の死因となっている。1966年の世界保健総会 (世界保健機関の意思決定組織) において、天然痘根絶強化計画 (intensified smallpox eradication programme) を開始し、10年以内にこの病気を根絶するという合意に達した。当時、ブラジル、インド亜大陸全体、インドネシア、サブサハラアフリカを含む31か国で未だに天然痘の流行が続いていた。この野心的な目標は、いくつかの理由から達成可能なものであると考えられた。ワクチンに非常に優れた保護効果があること、ウイルスに1つの型しか存在しないこと、自然宿主となる動物が存在しないこと、感染の潜伏期間が知られており (12日) 滅多に変化しないこと、感染によって必ず症状が現れるため感染している人物が明らかであること、などがその理由として挙げられる。 集団予防接種の後は、病気の発見と封じ込めが根絶運動の中心となった。症例が見つかるとすぐに感染者は隔離され、濃厚接触者は予防接種を受けた。成功はすぐに訪れ、1970年までに天然痘は西アフリカでの流行は終結し、ブラジルでも1971年までに終結した。1973年までに、天然痘の流行地域はインド亜大陸、ボツワナ、エチオピアのみとなった。13年にわたる世界中での組織的な疾病監視と予防接種運動の後、1979年に世界保健機関は天然痘の根絶を宣言した。根絶の主要な武器は、ワクチンとして用いられたワクシニアウイルスであったが、ワクシニアウイルスが何に由来するのかについて正確には知られていなかった。それはエドワード・ジェンナーが用いた牛痘の株でもなく、天然痘の弱毒化株でもなかった。2017年になって、ワクシニアウイルスが馬痘ウイルス (horsepox virus) に由来する可能性が高いことが報告された。 根絶運動の中で、ジャネット・パーカー (c. 1938–1978) の死と、天然痘の専門家ヘンリー・ベドスン (Henry Bedson、1930–1978) の自殺が起こった。パーカーはバーミンガム大学の職員であり、ベドスンの天然痘の研究室と同じ建物に勤務していた。彼女は、ベドスンのチームが研究していた天然痘ウイルス株に感染した。事故を恥じ、責任を感じたベドスンは自殺を遂げた。 2001年のアメリカ同時多発テロ事件以前は、世界保健機関はアメリカとロシアの研究室に保管されている天然痘ウイルスの在庫の破棄を提案していた。天然痘を用いたバイオテロの恐れと、感染治療薬の開発のためのウイルス備蓄の必要性のため、この計画は終了することとなった。これらの破棄が完了すれば、天然痘ウイルスは人間の介入によって絶滅した最初のウイルスとなるだろう。
※この「天然痘の根絶」の解説は、「ウイルスの社会史」の解説の一部です。
「天然痘の根絶」を含む「ウイルスの社会史」の記事については、「ウイルスの社会史」の概要を参照ください。
- 天然痘の根絶のページへのリンク