1970年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:46 UTC 版)
「クリーブランド・ブラウンズ」の記事における「1970年まで」の解説
1946年、NFLに対抗して創設されたオール・アメリカ・フットボール・カンファレンス(All-America Football Conference/AAFC)の一員として、アーサー・B・マクブライドによって創設された。ちなみに、サンフランシスコ・フォーティナイナーズも同じ年に創設されてAAFCに参加している。 チーム名は最初、クリーブランドの新聞プレイン・ディーラーで行われた投票で「パンサーズ」が選ばれたが、過去に「クリーブランド・パンサーズ」というフットボールチームが存在し、地元の実業家がその名前の権利を保有していることを連絡してきた。チームは別にチーム名命名コンテストを実施し、ヘッドコーチであるポール・ブラウンの名にちなんで「ブラウンズ」となった。ブラウンは、実際にはボクシングのヘビー級チャンピオンジョー・ルイスにちなんだ「ブラウンボンバーズ」が最も多い得票数だったが、後に撤回され、ブラウン自身の名をつけることを承諾したと述べている。AAFCは4年間存続した後NFLに統合されたが、ブラウンズは4シーズン全てでチャンピオンシップを獲得し、4シーズンを通して4敗しかしなかった。 NFLとAAFCの合併後、ブラウンズはサンフランシスコ・フォーティナイナーズおよびボルチモア・コルツとともに、1950年にNFLに移動した。批評家は、AAFCの全体的な弱さがブラウンズを目立たせていると考えていた。しかし、ブラウンズは最初のNFL公式試合において、2年連続でNFLチャンピオンであったフィラデルフィア・イーグルスからパスで346ヤード、トータルで487ヤード獲得し、35対10で勝利した。そして最初の年のNFLチャンピオンシップで、試合終了直前にルー・グローザのフィールドゴールによりロサンゼルス・ラムズを破り優勝した。ブラウンズは続く5度のタイトルゲーム出場を果たし、1954年と1955年に連覇した。1946年から1955年までのチーム創設から10年で、ブラウンズは毎年チャンピオンシップゲームに出場(最初の4回はAAFC)し、7回優勝を果たした。 1956年シーズン開幕前に、オットー・グレアムが怪我のため引退すると、3人のQB、ジョージ・ラターマン、ベイブ・パリリ、トミー・オコネルが起用されたが、全員タッチダウンよりも被インターセプト回数が多く、チームは5勝7敗と初めて負け越した。 1957年のドラフトでシラキューズ大学のフルバック、ジム・ブラウンを獲得した。ジム・ブラウンは1年目から12試合で942ヤードを走りリーディングラッシャーとなり、またルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。チームは9勝2敗1分でチャンピオンシップゲームに出場したが。2人のQB、トミー・オコネルとミルト・プラムがデトロイト・ライオンズに6回のターンオーバーを許し14-59と大敗した。1958年、ジム・ブラウンは他のランニングバック全てのほぼ2倍以上となる1527ヤードを走り、リーディングラッシャーとなった。ブラウンはキャリア9年間の内、7回1000ヤードラッシャーとなったが、その間チームが優勝したのは1964年の1回のみであった。 1961年、アート・モデルが、1953年からオーナーを務めていたデビッド・ジョーンズからチームを購入した。1962年、シーズン7勝6敗1分の成績に終わると、翌1963年1月9日、ヘッドコーチを務めたポール・ブラウンとの契約打ち切りが、アート・モデルをはじめ過半数のオーナーの支持により決定された。決定に至る議論は地方紙のストライキ中に進行し、大きな物議を醸すことはなかった。クリーブランドのスポーツライター、フランク・ギボンズは契約打ち切りについて、「ターミナルタワー(クリーブランドで一番高いビル)を倒すようなものだ」と語っている。後任のヘッドコーチにはブラウンの下で長年アシスタントコーチを務めたブラントン・コリエルが就任した。 1963年にチームは10勝4敗、ジム・ブラウンは1863ヤードを走った。1964年には10勝3敗1分で7年ぶりにチャンピオンシップゲームに出場、ボルチモア・コルツを27-0で破った。この試合のMVPには3回のタッチダウンパスレシーブを見せたゲイリー・コリンズが選ばれた。1965年、ジム・ブラウンの引退後の1968年、1969年もチャンピオンシップゲームに進出したが優勝は果たせず、1970年シーズン終了後にコリエルヘッドコーチは辞任、オフェンスコーディネーターのニック・スコリッチが新ヘッドコーチとなった。
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