天然痘の撲滅とは? わかりやすく解説

天然痘の撲滅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 17:57 UTC 版)

世界保健機関」の記事における「天然痘の撲滅」の解説

WHOの功績中でももっとも輝かしいものは、天然痘の撲滅に成功したことである。天然痘は非常に高い致死率持ち世界各地多大な死者出した病気であったが、症状明確に判別できるため対処しやすく、ヒト以外感染するとがないため人間のみの対策対処でき、さらに種痘による完全な予防法確立されていたことから、撲滅原理的には可能であると考えられていた。こうしたことから、1958年総会ソ連生物学者ヴィクトル・ジダーノフが提案した世界天然痘根絶決議」の全会一致可決撲滅計画始まったが、当初人類すべてへ種痘による撲滅目指していたため、医療や行政の整っていない発展途上国においては対策が行届かず撲滅にはほど遠い状態がつづいていた。そこでよりこの計画推進するため、1967年には特別予算組まれるとともに10年後の1977年までに天然痘撲滅させることが明確に謳われた。このときに方針転換され流行地域において賞金懸けることで患者発見し患者が見つかるとその患者接触した人物根こそぎ調べ上げ徹底的にその周囲種痘を行う、いわゆる封じ込め政策へと移行した。このとき、世界には天然痘患者1000万から1500万人いると推定されていた。しかし、この封じ込め政策功を奏し患者数激減していった。1970年代に入ると南アジア南アメリカ相次いで撲滅宣言され1977年ソマリア発見され患者最後に天然痘地球上から姿を消した。そして、患者発生しなくなってから3年後1980年、WHO総会は天然痘の撲滅を正式に宣言した

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天然痘の撲滅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:42 UTC 版)

天然痘」の記事における「天然痘の撲滅」の解説

種痘実施徐々に世界中広まっていき、20世紀中盤には先進国においては天然痘根絶した地域現れ始め日本においても1955年天然痘根絶された。また、天然痘感染した場合肉眼判別可能な症状現れるため特定しやすく、発病および感染ヒトのみに限られ、さらに優れたワクチン存在するといった、根絶を可能とする諸条件揃った病気であったこうしたことから1958年世界保健機関 (WHO) 総会ソ連生物学者ヴィクトル・ジダーノフの提案によって全会一致で「世界天然痘根絶決議」が可決され根絶計画始まった当初世界住民への種痘方策として考えられていたが、医療組織や行政が整っていない発展途上国人口密集においてはこれは困難であり、南アメリカ南アジアおよびアフリカにおいては流行続いていた。中でも最も天然痘患者多かったインドでは、根絶が困難とされた。こうしたことから1967年にWHOは方針転換し、皆種痘に代わって、まず天然痘患者発見したものに賞金与え患者発見全力を挙げることとした。天然痘患者発見されると、その発病1か月前から患者接触した人々全て対象として集中的に種痘行いウイルスの伝播拡散防いで孤立させる事で天然痘感染拡大を防ぐ方針をとった。この作戦期限10年間とされ、1977年までには天然痘根絶することが目標とされた。1967年時点で、世界には天然痘患者1000万から1500万人いると推定されていたが、この封じ込め作戦功を奏してインド天然痘患者激減していった。 この方針は他地域でも用いられ1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年中央アフリカ南米から根絶された。1975年バングラデシュ3歳女児患者アジア最後記録となり、アフリカエチオピアソマリア流行地域として残った1977年ソマリア青年アリ・マオ・マーラン最後に自然感染天然痘患者報告されておらず、3年経過した1980年5月8日、WHOは地球上からの天然痘根絶宣言発する至った。現在自然界において天然痘ウイルス自体存在しないとされている。天然痘は、人間感染する感染症人類根絶できた唯一の例である。なお、ヒト以外を含む感染症全般ではウシなどに感染する牛疫2011年撲滅宣言された。 ヨーロッパで20世紀後半には、天然痘過去のものとなっていたが、1970年には西ドイツパキスタンから帰国した青年起点として14人以上の患者発生した例がある。また、1978年イギリスバーミンガム大学メディカル・センターにおいて、微生物学研究室からウイルス漏洩し研究室の上階で働いていたジャネット・パーカー天然痘罹患して1か月後に死亡した。彼女は天然痘により死亡した世界最後患者である(「バーミンガム事件と言われる漏洩させてしまった研究者は、責任感じて自ら命を絶った)。 1984年にWHOでなされた合意基づいてアメリカ疾病予防管理センター (CDC) とロシア国立ウイルス学・生物工学研究センター (VECTOR) のレベル4施設以外の研究所保有していた全て廃棄された。この2施設における天然痘についても破壊することがWHOの会議で一旦決定されたが、実際の作業数度渡り延期され2001年アメリカ廃棄反対する姿勢明確にしたことで中止となった。しかし近年レベル4施設の設備備えない不適切な場所においても生きた天然痘ウイルス発見されており、その管理取り扱いが非常にずさんであることが発覚している。 千葉県血清研究所開発して1975年日本国内製造承認受けた天然痘ワクチン「LC16m8」は、1980年のWHOの撲滅宣言後冷凍保存された。2001年アメリカ同時多発テロ事件後備蓄始まり自衛隊投与されている。 WHOによる根絶運動により、1976年以降予防接種廃止されたが、アメリカでは2011年時点ワクチン備蓄し続け、またその製造可能な状態を維持し続けている。 日本国内における発生1955年患者最後に確認されていない国外で感染した患者1970年代に数例報告されている。 1991年天然痘ウイルス・ラヒマDNA塩基配列解析完了した天然痘はかつての伝染病予防法では法定伝染病指定されていた。2012年現在感染症法一類感染症全数報告対象)に指定されている。

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