種痘後脳炎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:18 UTC 版)
種痘は天然痘の撲滅に貢献した。だが、種痘後に脳炎を起こす事例が頻発し、「種痘後脳炎」と呼ばれるようになった。1940年代後半には医師の間では広く知られるようになっており、その被害規模は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を超えていた。医原病である。 さらに犠牲者のほとんどは乳幼児であり、子供を失ったり、脳の正常な機能は失われてしまい障害者となってしまった子供を抱えたりした被害者は、接種を強制した日本の行政から何ら援助も保障も提供されなかった。 1970年6月には、種痘後に脳症となる被害者が新聞で取り上げられるようになり、半年間で200人を超える規模と報道された。国立予防衛生研究所は、1970年代においてもジェンナーが種痘ワクチンを開発以来、製造法が進歩していないことを指摘。さらに製造過程で多数の雑菌が入り込んでいる状況も指摘している。 また、1970年には、北海道小樽市の種痘後遺症被害者が日本の行政機関を相手取り、損害賠償の訴訟を起こした。同時期に立ち上がった「全国予防接種事故防止推進会」の精力的な活動も幸いして、「種痘禍」は報道機関でも取り上げられ、その実態が国民に広く知られるようになった。1972年の夏頃に種痘の集団接種は一部地域で中止され、同時に希望者のみの個別接種方式の導入と接種年齢見直しが図られた。
※この「種痘後脳炎」の解説は、「種痘」の解説の一部です。
「種痘後脳炎」を含む「種痘」の記事については、「種痘」の概要を参照ください。
- 種痘後脳炎のページへのリンク