薬害などとして知られる社会的問題となった事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:22 UTC 版)
「副反応」の記事における「薬害などとして知られる社会的問題となった事例」の解説
1948年 - ジフテリアは、予防接種が制度化された直後、品質保証のための検定制度が機能しておらず、毒素が不活性となっていないワクチンが用いられ、84人が死亡し、854人に後遺症が残り、戦後の薬害事件1号となり、世界最大の予防接種事故となった。 1964年 - 予防接種ワクチン禍事件。インフルエンザワクチンの集団接種が1962年に開始され、1964年に接種後に高熱と発作を起こし重度の障害を残した例で、訴訟が行われ、これに乗じて全国で訴訟が起こった。90年代には国側から和解が持ち込まれ、実質としては被害者側が勝訴する結果となった。 1970年 - 種痘渦事件。種痘ワクチンでは、当時、種痘合併症と呼ばれた種痘後脳炎が死因統計に検出され、解析すると高頻度だと判明し、補償要求運動としての種痘禍騒ぎが起こり、後に弱毒性のワクチンが開発された。 1975年 - 三種混合ワクチン(DPTワクチン)の接種がしばらく中止となった。 1989年 - MMRワクチン薬害事件と呼ばれ、同年始まった新三種混合ワクチンの発熱、嘔吐、痙攣のある無菌性髄膜炎が発生し、1993年より日本でのMMRワクチン製造はなくなった。 2005年 - 日本脳炎ワクチンは脳脊髄炎の発生のため、2005年に積極的な推奨が中止された。ワクチン製造の過程でネズミの脳組織を使用しているために、わずかに混入した脳組織に対する抗体が被接種者の中枢神経組織を攻撃して起こると考えられている。このため、vero細胞(アフリカミドリザル腎臓由来株化細胞)を用いた新型ワクチンが開発され、2009年からこのワクチンが接種されている。
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