薬専へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/18 21:57 UTC 版)
薬学専門学校に入ったのは小瀬によれば、1925年(大正14年)の正月に新潟で行われた明治大学スキー部の合宿に参加した東京薬学専門学校の学生が合宿中に聞いた歌を覚えて持ち帰ったのが最初であるという。この年の夏には東京薬学専門学校の修学旅行で京都薬学専門学校を訪問した際の歓迎会で歌を披露し、京都にも広まった。1926年(大正15年)春の修学旅行の際に応援団長が振り付けを考え、これが後に伝わる定番の振り付けとなった。1929年(昭和4年)頃には医歯薬相撲大会で東京薬専応援団が長襦袢姿で踊って評判となり、その後数年は踊りが大会の名物となった。 小瀬が示す薬専への浸透過程は全て私信を根拠としており、証言者の詳細は明らかにされていないが、これに符合する他の証言も存在する。東京薬学専門学校出身で後に北海道の遠軽病院に勤務した薬剤師によれば、同校では相撲大会の応援でリーダーが踊り、行楽に出かけた伊香保温泉で全校生徒が踊りながら温泉街を練り歩いたこともあった。踊りの振り付けについては、類似の踊りが山形か秋田にあるものの、同校独自のものと考えられており、考案者と称する卒業生が来校したこともあったという。 明治薬学専門学校でも応援歌として歌われており、踊りも存在した。またこの時点で各薬学専門学校に同様の歌が歌われていることは認識されていた。 踊りは薬学専門学校以外の学校でも踊られていた。第二高等学校出身の大石嘉一郎は高校時代に踊っていた。久留米高等工業学校でも学園祭の際に踊られていた。また創作作品ではあるが、自身も戦前の医学校出身の作家後藤杜三は戦前を舞台とした小説『青春』で、たにし踊りを得意とする医学生を登場させている。
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