種痘針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 21:17 UTC 版)
嘉永5年(1852年)1月の笠原から「外科道具師 安則」あての手紙から、笠原は京都の外科道具師「安則」の種痘針を使っていたことがわかる。「外科道具師 安則」は、華岡青洲(1760-1835)が外科器具の作製を依頼し鍛冶職から専門化していった「真竜軒安則」か、その後継者と考えられる。
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