民族浄化とは? わかりやすく解説

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みんぞく‐じょうか〔‐ジヤウクワ〕【民族浄化】

読み方:みんぞくじょうか

ethnic cleansing訳語複数民族が住む地域で、特定の民族集団武力用いて他の民族集団虐殺迫害追放して排除すること。民族の純粋化。エスニッククレンジング

[補説] 1990年代旧ユーゴスラビア内戦の中で生まれた語という。


民族浄化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 14:43 UTC 版)

民族浄化(みんぞくじょうか、クロアチア語ボスニア語セルビア語: етничко чишћење / etničko čišćenje英語: ethnic cleansing)は、おもに戦争における戦略として、大量虐殺強制移住などの手段で特定の民族を殲滅させることを言う。

語源

「民族浄化」は、1990年代内戦中の旧ユーゴスラビア地域のメディアに頻繁に使用されたクロアチア語ボスニア語およびセルビア語の「етничко чишћење / etničko čišćenje(エトニチュコ・シスチェーニェ)を翻訳したもので、ボスニア紛争を契機にして1992年頃から世界の主要メディアでも広く使用されるようになった。流通するようになったきっかけは、当時のボスニア政府とPR契約を結んでいた、アメリカの広告代理店「ルーダー・フィン社英語版Ruder Finn)」のジム・ハーフ (James W. Harff) [1]が効果的なメディア対策をおこなったためである[2]

「ルーダー・フィン社」は当初、セルビア人による虐殺を非難するための言葉として「ホロコースト」を使用したがこの言葉をナチスによるユダヤ人虐殺以外に使わせることをユダヤ人団体が認めようとせず不快感をあらわにしたので、これに代わる言葉を見つけ出す必要があった。ルーダー・フィン社は「エトゥチニコ・シチェーニェ」という言葉を、ボスニア紛争以前に契約していたクロアチア側がセルビア人を非難するために使っていたことを知り、セルビア側を攻撃する際に徹底的に使用するようになった。英訳の際に「ethnic purifying」と「ethnic cleansing」の2種類が用意され、当初はどちらも使われていたが、後者の方がより残酷な印象を与えるため、すぐに「ethnic cleansing」へ移行した[2]。現在はもっぱら「ethnic cleansing」が用いられている。

語源に関しては諸説あるが、早ければ第二次世界大戦時に使われ始めたものと考えられ、第二次世界大戦中にセルビア人とクロアチア人の間で生じた民族間虐殺を指してバルカン地域で用いられていた[2]。第二次世界大戦時代、ユーゴスラビア領内にはクロアチア人民族主義ウスタシャによって、ナチス傀儡国家クロアチア独立国」が建国された。ウスタシャとクロアチア独立国の当局は、ナチスと協力して域内のユダヤ人セルビア人ロマなどの絶滅や追放を目指した[3]

その後ヨシップ・ブロズ・チトー政権の成立によりユーゴスラビアは多民族国家として再出発し、民族の協調がうたわれたため、バルカン地方を越えた一般的な言葉としては流通しなかった[2]。この時の民族浄化の記憶は、ボスニア紛争時にボスニア内の各民族に、再び他民族が自分たちを虐殺するのではないかという、少なからぬ恐怖感を与えたようである[4]。多民族国家であったユーゴスラビア連邦でも、1980年代ヨシップ・ブロズ・ティトーの死後、民族主義的な感情の高まりにしたがって、自民族は「民族浄化」の犠牲者であるとする論調で、異民族に対する憎悪をあおる場面で頻繁に用いられるようになった[3]。各民族に対等の権利を保障するユーゴスラビアの制度によって、数の上では最大であるセルビア人の地位は相対的に低くなり、また歴史的にセルビア人が多く住んでいた地方の多くがセルビア共和国の外に置かれた。また、コソボではセルビア人の流出による人口減少と、多産社会のアルバニア人の人口増大によって人口比率は大きく変化していた。こうしたことに対する不満と、第二次世界大戦中にナチス、ファシスト政権と協力関係にあったクロアチア人、アルバニア人を結びつけ、「セルビア人は過去に民族浄化の被害者であった」、「いままたセルビア人に対する民族浄化が進められている」といった論調で異民族に対する憎悪を高めていた。

1990年代前半に一連のユーゴスラビア紛争が始まると、クロアチアボスニア・ヘルツェゴビナムスリム人ボシュニャク人)によって、敵対するセルビア人の残酷性を世界にアピールする目的のプロパガンダとして発信された。ロイ・ガットマン英語版等の西側諸国のメディアなどがこれを大規模に取上げたことにより、「民族浄化」の語は世界的に知れ渡るところとなった[3]

2017年には、ミャンマー政府のロヒンギャベンガルイスラム教徒)に対する弾圧虐殺が激化して多くの難民が発生する事態となり[5]国連グテーレス事務総長はこの状況を「民族浄化」と評した[5]

脚注

  1. ^ OUR TEAM - Washington DC Hub” (英語). official webcite. Global Communicators. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ a b c d 高木 2002 [要ページ番号]
  3. ^ a b c 佐原 2008 [要ページ番号]
  4. ^ 伊藤 1996 [要ページ番号]
  5. ^ a b ロヒンギャを「民族浄化」 国連、ミャンマーへ批判噴出」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2017年9月15日。2017年12月26日閲覧。

関連文献

書籍
論文

関連項目

外部リンク


民族浄化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:07 UTC 版)

サラエヴォ包囲」の記事における「民族浄化」の解説

報告によると、セルビア人勢力包囲の間に、サラエヴォのうち彼らの占領下においた地域で民族浄化作戦展開していたと言われている。 Michael A. Sellsの『The Bridge Betrayed: Religion and Genocide in Bosnia』の中で、民族主義者ではないセルビア人もまた暴力対象となっていたことを指摘している。 ムスリム人迫害への参加拒んだセルビア人殺害された。サラエヴォセルビア人占領地区において、セルビア人武装勢力兵員が、市民への蛮行拒否したセルビア人当局者を殺害した武装勢力は、この人物の遺体みせしめとして1週間わたって路上放置したセルビア人勢力によるサラエヴォでの「選別作業のさなか、セルビア人老人リュボ(Ljubo)はムスリム人友人隣人らと離されるのを拒んだため、その場で死ぬまで殴られた。 その後数年間に及ぶ1990年代は、ユーゴスラビア紛争におけるセルビア人戦争責任に関して国際社会広く共有していた認識を、セルビア人側が否定する否認主義時代として特徴づけられる時代であった2000年代に入ると、セルビア人そのほか外部著者によって、広く知られているセルビア人による蛮行、たとえばスレブレニツァの虐殺類するような、非セルビア人、すなわちボシュニャク人ムスリム人)やクロアチア人蛮行焦点当てる傾向作り上げられた。たとえば、ユーゴスラビア紛争における、セルビア人市民対すボシュニャク人クロアチア人による民族浄化作戦大きな関心を払うようになった1992年から1995年までの間に、150,000人のセルビア人サラエヴォから民族浄化され、うち数千人が殺害されていると主張されている。これらの主張は、2005年スルプスカ共和国首相であるペロ・ブケイロヴィッチ(Pero Bukejlović)によって前面出され、それによると、サラエヴォ包囲のさなかにセルビア人市民対すジェノサイドが行われたと主張した。そして、その犠牲者の数は、セルビア人勢力によるボシュニャク人大量虐殺であるスレブレニツァの虐殺犠牲者数上回るとした。 ボスニア・ヘルツェゴビナ政府によるセルビア人市民への民族浄化がサラエヴォ行われたとする主張は、サラエヴォ市民の間では、民族の別を問わずきわめて攻撃的な侮辱であった認識されている。ブケイロヴィッチによる主張に対して多く人々公的な謝罪求めたセルビア市民議会議長であったミルコ・ペヤノヴィッチ(Mirko Pejanović、紛争中はボスニア・ヘルツェゴビナ大統領評議会一員であり、2007年から2011年までサラエヴォ大学政治科学部学部長)は、次のように述べた: いかなる者も、ブケイロヴィッチであれ、政治的な必要性のために真実を捻じ曲げたり覆い隠したりすることはできないサラエヴォでは、包囲されていた4年間の間に、カラジッチの軍とセルビア民主党によって、民族の別を問わず多くサラエヴォ市民死亡した多く人々飢餓寒さを耐え、あるいは死に、また多く人々砲撃によって死んだ紛争中の死者数12,000人を数え少なくともそのうち4分の1セルビア人か、セルビア人血を引くであった。よって、われわれは、政府によるセルビア人対す根絶作戦ジェノサイドではなくセルビア民主党カラジッチの軍によるサラエヴォサラエヴォ市民、そしてその中に含まれるサラエヴォセルビア人市民対す根絶作戦責任について話す必要がある紛争中、セルビア人勢力は、ムスリム人男性女性分け女性に対して組織的に強姦・性暴行加えていた。セルビア人勢力当局者はそれを認識し、また認可している中で、これらの性犯罪行為が行われたとされている。2001年旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は、公式にドラゴリュブ・クナラツ(Dragoljub Kunarac)、ラドミル・コヴァツ(Radomir Kovac)、ゾラン・ヴコヴィッチ(Zoran Vukovic)を強姦の罪で告訴した

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「民族浄化」を含む「サラエヴォ包囲」の記事については、「サラエヴォ包囲」の概要を参照ください。

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