ヴィテズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:24 UTC 版)
「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」の記事における「ヴィテズ」の解説
1992年4月、ヴィテズのクロアチア民主同盟指導者であったアント・ヴァレンタ(Anto Valenta)は、自治体のボシュニャク人代表者らに対して、ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共同体の命令に服従するよう命じた。1992年5月20日、ヴィテズのホテル前にてボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍の兵士が1人殺害され、2人が拘束されて暴行を受けた。1992年6月、クロアチア人の武装勢力がヴィテズの市役所、市議会庁舎を占拠し、ヘルツェグ=ボスナおよびクロアチアの国旗を掲げた。 後の1992年11月、ヴィテズ市自治体は新しい税を導入し、市職員に対してクロアチア人政府に対する忠誠宣言に署名するよう求め、署名しない場合は解雇するとした。多くのボシュニャク人が宣言への署名を拒否して公職から追放され、またクロアチア人勢力支配地域の道路を通行する際に必要となる通行許可証の発行を受けられなくなった。
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