同化政策
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同化政策(どうかせいさく、英語: assimilation policy)とは、国家が国民の統合・同質性を高めるために講じる政策。歴史的には古くからあるが、とりわけ国民国家形成期以降の同化政策が典型的なものである。
概要
国家の形成過程において、多数派・主流派が自派を中心に置いた上で少数派・非主流派に従属を求めたり、あるいは長い年月とともに融合して新たなアイデンティティを獲得していくというプロセスは、古代から普遍的に存在してきたものであり、広域的なものとしてローマ帝国によるローマ化などが知られている[1]。
現代的な意味での同化政策は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで芽生えた国家主権・国民国家の概念を前提として行われてきた国民統合、植民地形成の中で行われてきた政策を指すことが一般的である[2][3]。また、20世紀初頭に移民国家であるアメリカを中心に自領域内の各集団の文化を統合していくことを目指す同化主義の定式化が進み、新たな移民を受け入れる際の基準、移民政策とも結びついていく[4]。また、同時期には、フランシス・ゴルトンが優生学を提唱し、同化ではなく隔離によって国民の同質性を保とうとする思想も生まれていく[5]。同化政策をエスニシティ政策の一類型と捉えた場合、国民の同質化を図っていくという点で同化政策と隔離政策は表裏一体の関係にあり、単一文化による国家形成を目指す文化一元主義に位置づけられる[6]。
第二次世界大戦の頃までは、同化政策は、排斥主義に立つナチス・ドイツのホロコーストなどと比較して、平和的な国家統合プロセスだと考えられていた[2]。一方、1950年代から植民地の独立運動が強まるとともに、1960年代に入ると、国民国家概念の出発点であるヨーロッパでも、イギリスにおけるスコットランド独立運動、スペインにおけるバスク独立運動などが興る[7]。1970年代に入ると同化主義は支配的地位にある国家・民族への従属、少数派に自らの文化の放棄を求めているのと同義であるとして批判が強まっていき、国内の複数の文化が併存することを認めていく文化多元主義が主流化していく[3][8]。1970年代以降は、従来の民族概念に替えてエスニシティ概念を用いるとともに、同化ではなく、どのように異文化を自国に受け入れていくかという観点から編入の概念が用いられることが増えていく[9][10]。
同化政策の事例
国民国家の形成
ヨーロッパでは1648年のウエストファリア条約に端を発して、ローマ教皇を頂点とするカトリック価値観に基づく国家体制から、宗教的影響力と政治的影響力が分離された君主制国家が誕生していく[11]。これに伴い、君主と領民の関係性も変化していき、王権神授説に見られるような神聖化された君主とそれに従属する領民といった属人的な関係性から、領土・国家に属する国民と共同体の統治のために組織された国家、国民国家の概念が形成されていく[11]。国民国家においては、旧来の君主や権威が持つ求心力ではなく、各個人が特定の国の国民であるという意識を持つことが基礎となり、国家の統合と安定のために国民の同質性が求められていく[11]。
国民国家の形成過程では、1民族・1言語・1文化の国家が理想視され、旧来からの国家に内包されていた複数のエスニシティや周辺地域を統合していくために文化の同質化が進められ、また、市民革命で誕生したフランスがその政治思想を国民統合の旗頭としたように国家・国民が新たなアイデンティティを獲得していくための諸政策が行われる[12][13]。その典型例として、標準語の制定などの言語政策や歴史教育が挙げられ、公教育の整備を通じて共通の言語で共通の歴史を学んだ国民を生み出していく[3]。日本においても、明治維新以降に北海道を正式に国土に組み込み開拓していく過程でアイヌに対して日本語の習得を求めるなど同化政策を実施した[14]。
植民地の形成
国民に同質性を求める国民国家の思想は植民地にまで拡張されていき、特にフランス植民地帝国が同化政策を重視していたことが知られている[15][16]。植民地側にフランス語・フランス文化の受容を求め、フランス文化を受入れてフランス式の教育を受けた現地住民をエヴォリュエ(開化民)と扱うとともに、政治的権利などの面で他の現地住民と差別化した[15][16]。同様の植民地における同化政策は他国にもあり、ベルギー植民地帝国では宗主国と植民地を父子の関係と擬制したほか、大日本帝国では天皇の臣民概念を植民地住民にまで拡張した皇民化政策が朝鮮などで行われた[15][17]。
移民国家の形成
移民国家として成立したアメリカでは、出身国の異なる入植移民の文化を融合して新たなアイデンティティを獲得していったが、同時に先住民のネイティブアメリカンやアフリカ大陸から強制移民させた奴隷を入植移民と差別する構造を作りだしていく[18]。また、中国や日本などのヨーロッパ系以外の新移民が増加する中で、新移民に対してアングロ文化への同化を求める考えが定着していく[19]。
同様に移民国家として成立したオーストラリアでは、20世紀初頭に白人系移民だけで社会を構成しようとする白豪主義が採用される[20]。
出典
- ↑ 小平 1999, pp. 16–20.
- 1 2 政治学事典 2000, pp. 789–790.
- 1 2 3 世界民族問題事典 1995, pp. 769–770.
- ↑ 樽本 2016, p. 66.
- ↑ 樽本 2016, pp. 6–7.
- ↑ 小平 1999, pp. 53–56.
- ↑ 樽本 2016, pp. 11.
- ↑ 樽本 2016, p. 69.
- ↑ 樽本 2016, pp. 70–73.
- ↑ 梶田 1995, pp. 21–23.
- 1 2 3 樽本 2016, pp. 14–15.
- ↑ 梶田 1995, pp. 68–71.
- ↑ 樽本 2016, pp. 184–185.
- ↑ 世界民族問題事典 1995, pp. 17–18.
- 1 2 3 林 1991, pp. 193–195.
- 1 2 アフリカを知る事典 2010, pp. 279.
- ↑ 樽本 2016, pp. 146–147.
- ↑ 樽本 2016, pp. 160–161.
- ↑ 樽本 2016, p. 69,161.
- ↑ 樽本 2016, pp. 172–173.
参考文献
- 猪口孝ほか 編『政治学事典』弘文堂、2000年。ISBN 978-4-335-46017-3。
- 小田英郎ほか 編『アフリカを知る事典』平凡社、2010年。 ISBN 978-4-582-12640-2。
- 梶田孝道 編『国際社会学』放送大学教育振興会、1995年。 ISBN 978-4-595-83316-8。
- 小平修『エスニシティと政治』ミネルヴァ書房、1999年。 ISBN 978-4-623-02969-3。
- 樽本英樹『よくわかる国際社会学 第2版』ミネルヴァ書房、2016年。 ISBN 978-4-623-07591-1。
- 林晃史 編『アフリカの21世紀 第1巻』勁草書房、1991年。 ISBN 978-4-326-09854-5。
- 松原正毅ほか 編『世界民族問題事典』平凡社、1995年。 ISBN 978-4-582-13201-4。
関連項目
同化政策
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また植民地の文化に関しても、その文化を異文化であるとしてある程度配慮する方法と、植民地の文化を遅れたものであるとして宗主国の文化に同化させることを目的とした、いわゆる同化政策の2つの方法が存在した。こうした国々では本国文化を身につけたと判断されると、本国の市民権を与えられる制度が存在した。こうして本国市民と認められた植民地住民は開化民などと呼ばれ、セネガルなどではある一定の地位を占めていた。しかし同化政策と言っても、植民地の面積・人口は本国よりもはるかに大きいことが常であり、言語の同化程度で市民権を与えていては植民地の市民数が本国のそれを上回る事態も想定されたため、実際には市民権の付与には高等教育の修了やイスラム教の放棄などの非常に厳しい条件が設けられ、こうした地位を得られるものは非常にわずかな数の住民に過ぎなかった。1950年のポルトガル領アンゴラにおいて、同化民の地位を与えられたものは全人口のわずか0.7%に過ぎなかったことなどはその一例である。
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