同化政策
同化政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:17 UTC 版)
また植民地の文化に関しても、その文化を異文化であるとしてある程度配慮する方法と、植民地の文化を遅れたものであるとして宗主国の文化に同化させることを目的とした、いわゆる同化政策の2つの方法が存在した。こうした国々では本国文化を身につけたと判断されると、本国の市民権を与えられる制度が存在した。こうして本国市民と認められた植民地住民は開化民などと呼ばれ、セネガルなどではある一定の地位を占めていた。しかし同化政策と言っても、植民地の面積・人口は本国よりもはるかに大きいことが常であり、言語の同化程度で市民権を与えていては植民地の市民数が本国のそれを上回る事態も想定されたため、実際には市民権の付与には高等教育の修了やイスラム教の放棄などの非常に厳しい条件が設けられ、こうした地位を得られるものは非常にわずかな数の住民に過ぎなかった。1950年のポルトガル領アンゴラにおいて、同化民の地位を与えられたものは全人口のわずか0.7%に過ぎなかったことなどはその一例である。
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同化政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 08:53 UTC 版)
ローマ化はまず異なる系統の住民が住む地域に、ローマ軍が攻め込む所から始まる。敵の軍勢を完膚なきまでに打ち破った後、ローマはその地の住民に様々な方法で同化を迫り始める。以下、ローマが占領後に行うとされる「同化政策」を列挙する。 生き残った占領住民の多くを奴隷として国内外に売却 戦争でローマ側に寝返った勢力に恩賞や地位の保証を与え、統治機構に組み込む 軍の前線基地を建設し、多数の軍人を駐屯・入植させる 退役した軍人に占領地を私有地として与え、入植させる彼らには地元の女性と結婚(混血)する事を奨励した インフラを整備し、以前よりも生活水準を向上させる 地元住民を本国軍の補助部隊(アウクシリア)として雇用する軍隊生活を通じてラテン語などのローマ文化を教え込み、教化する意味合いがあった 人生の多くを補助軍に捧げたものは退役と共に正規の国籍(ローマ市民権)を与えられる 占領住民向けの「植民地学校」を建設し、幼い住民をローマ民族として育てる 土着宗教とローマ神話を合同させる事で宗教的な価値観を一致させる しかし同じ異民族でも、ローマに負けぬ高度な文明や長い歴史を持つ東方の旧ヘレニズム系の地域に関しては同化を行わず、在来の文化を尊重した。ローマの同化はあくまで西方の蛮族の土地に限られ、ラテン語の普及も帝国の西半分に留まり、東半分ではヘレニズム時代同様にギリシャ語が公用語とされていた。この「ギリシャ系」の非同化は東ローマのギリシャ化に繋がる。対照的にイタリア、フランス、スペイン、ルーマニア、ダルマチアなどではローマ化が深い段階まで浸透した。
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