本国の市民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 05:04 UTC 版)
映画2作目においてメーテルが機械帝国の新女王に就任した際、リムジンでパレードが行われ、大母星で暮らす機械化人の市民はこれを熱烈に歓迎している。また、機械化人の子供が走り回っている描写などもあることから、彼らもまた生身の人間同様の生活を営んでいる様子がうかがえる。ただし生身の人間と違い、機械化人は体を完全に機械化している者ばかりであるため性行為による生殖は不可能とみられる。そのため、こうした子供達は両親が生身の人間だった頃に生まれ、その後両親と共に肉体を機械化したものと考えられる。 TV版及び映画2作目のノベライズ版(朝日ソノラマ版)では市民の様子が詳しく描かれている。先述の通り、彼らは死なない体を得て裕福な生活をしているために、生身の人間と違い「限りある命」という意識がない者が多く、限りある命による短い時間の中で「精一杯頑張ろう」、「何かをやり遂げよう」という意識を持つ者は皆無に等しい。そのため、鉄郎がミライに案内されたサナトリウムで見た機械化人達はいずれも勤労意欲の低い者ばかりであった。また、変化のない日常生活が延々と続くことに耐え切れず、自殺する者もいる。これらはTV版での描写だが、TV版の終着駅のエピソードと映画2作目の脚本を担当したのが山浦弘靖ということもあり、山浦による前述のノベライズ版でもこの描写がほぼそのまま流用された。
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