本国の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:19 UTC 版)
イサンドルワナの敗戦はズールー戦争に対する大衆の関心を集めることになり、英本国では報復を求める世論が高まっていた。 だが、政府の戦争に対する態度は不明朗なものだった。フレア(英語版)とチェルムスフォードが功名心から始めた戦争であり、政府は乗り気ではなかった。そのためセント・アルドウィン伯ヒックス・ビーチ植民相はフレアに対しズールーラントの併合を禁止し、改めて交渉による解決を命じた。セテワヨは既に交渉を申し出ていたが、フレアとチェルムスフォードは本国との連絡に時間を要することを良いことに無視していた。一方、軍内ではイサンドルワナで屈辱的敗戦を喫したチェルムスフォードを非難する声が高まっていた。加えてロルクズ・ドリフトの将兵13名に最高褒章であるヴィクトリア十字章が授与されたことにも過剰であると不満の意見があった。(例えばズールー戦争中に23名がヴィクトリア十字章を授与されたが、第二次世界大戦の英本土航空戦やノルマンディー上陸作戦では各1名だけだった) その一方で、大英帝国の威信を守り植民地体制を保つためにはズールーに対して明確な勝利を得ることも必要であった。それ故に本国政府はチェルムスフォードが以前に求めたよりも多くの増援部隊の派遣を決定した。
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