本土航空戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
1944年後半から始まるB-29による本格的な日本本土空襲で、陸軍はより超重爆迎撃に適した二式戦・二式複戦・三式戦・四式戦・武装司偵を防空戦の主力としているため、一式戦の邀撃配備・投入数は少ない。 1945年3月からの沖縄戦には戦闘爆撃機として、もとは襲撃戦隊であった第65戦隊が「爆装一式戦(三型)」をもって沖縄近海の連合軍艦船や占領下の飛行場攻撃に従事している。また、フィリピンから撤退した台湾の第20戦隊・第24戦隊もタ弾を装備し夜間攻撃や特攻機援護を行った。 一方で沖縄戦には特攻機としても多くの一式戦が用いられ、九州方面からは第6航空軍隷下の第20振武隊など計13個の特攻飛行隊が出撃している。特筆する特攻戦果としては、台湾の第8飛行師団隷下誠第39飛行隊(飛行隊長笹川勉大尉、一式戦5機装備)のうち一式戦1機が、3月31日にレイモンド・スプルーアンス中将率いる第5艦隊旗艦重巡「インディアナポリス」に命中、大破・航行不能にさせている。なお、「インディアナポリス」はこの損害によってアメリカ本土に曳航され、修理完了後前線に復帰する際には原子爆弾部品・核材料輸送の極秘任務をこなし、それらを揚陸後に日本海軍の「伊号第五八潜水艦」に撃沈されている。 1945年4月、250kg爆弾を搭載し特攻に出撃する第20振武隊穴沢利夫少尉搭乗の一式戦三型(キ43-III) 1945年4月16日、沖縄沖でバックレイ級護衛駆逐艦「バウワース」の艦橋に突入した特攻機たる一式戦。「バウワース」は大炎上し乗員約50人が戦死、修理・改装のためアメリカ本土に退いた
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