飛行師団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:28 UTC 版)
さらに飛行団が2個以上集まり戦略的単位の師団である飛行師団(FD)を編成した。1942年(昭和17年)4月以前は飛行師団は飛行集団(FC)と称しており、飛行師団はこれを改称したものである。中核となる飛行戦隊のほかに支援部隊である航空地区司令部(FTB、飛行場大隊・飛行場中隊を隷属)、航空通信団司令部(FTB、航空通信連隊(FTR)を隷属)などを隷属している。長は師団長(飛行師団長) で中将が補職し、司令部を置き参謀長(大佐級)1名・参謀数名・高級副官・兵器部長・経理部長・軍医部長など部員を擁した。 第1飛行師団(1FD) 第2飛行師団(2FD) 第3飛行師団(3FD) 第4飛行師団(4FD) 第5飛行師団(5FD) 第6飛行師団(6FD) 第7飛行師団(7FD) 第8飛行師団(8FD) 第9飛行師団(9FD) 第10飛行師団(10FD) 第11飛行師団(11FD) 第12飛行師団(12FD) 第13飛行師団(13FD) このほか、隷下に教育飛行団などをもつ飛行師団に準ずる教育部隊として、航空師団(KD)や教育飛行師団(KFD)も編成されている。 第51航空師団(51KD) 第52航空師団(52KD) 第53航空師団(53KD) 第54航空師団(54KD) 第51教育飛行師団(51KFD) 1944年6月、航空総監部が管轄していた学校(航士校および各少飛校を除く)は軍隊に改編され、明野陸軍飛行学校に代表される主要各陸軍飛行学校は教導飛行師団(KFD)となり、当初は教導航空軍(KFA、同年12月より第6航空軍に改編)に隷属した。なお、熊谷陸軍飛行学校は教導飛行師団とならず上記の航空師団(第52航空師団)となっている。のちに明野と常陸の教導飛行隊 は飛行戦隊(前者が第111戦隊、後者は第112戦隊)となった。 明野教導飛行師団(明KFD) 常陸教導飛行師団(常KFD) 下志津教導飛行師団 (下KFD) 浜松教導飛行師団 (浜KFD) 鉾田教導飛行師団 (鉾KFD) 宇都宮教導飛行師団 (宇KFD)
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