飛行実験部
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旧飛行実験部実験隊の業務を引き継ぎ、また拡充されたものが飛行実験部(陸軍航空審査部飛行実験部・実験部)であった。 構成は戦闘隊・偵察隊・爆撃隊・攻撃隊・特殊隊(実験隊時代は臨時班だったものを常設化したもの)に拡充され、のちにロケット機・ジェット機を担当する特兵隊も編成された。これらには旧整備班を改編した整備隊が各隊に置かれ、旧実験隊と併立していた旧整備隊は廃止されている。さらに飛行実験部自体の下部班として細分化された武装班・測定班・通信班も置かれている。 飛行実験部実験隊時代に引き続き、テスパイには荒蒔義次・石川正・岩橋譲三・木村清・坂川敏雄・坂井菴・黒江保彦・神保進・片倉恕・伊藤武夫・梅川亮三郎・田宮勝海・佐々木勇などや、整備隊には西村敏英・坂井雅夫・刈谷正意などといった帝国陸軍のみならず、陸海軍航空部隊におけるトップ・クラスの人材たる空中勤務者・地上勤務者が多方面から選抜され部員として配属されていた。また、当時陸軍航空部隊が育成していた航空エンジニアとテスパイを融合した「エンジニア・パイロット」たる技術将校(航技)として、畑俊八・来栖良なども配属されている。 独立飛行第47中隊(キ44 二式戦闘機「鍾馗」)、飛行第68戦隊(キ61 三式戦闘機「飛燕」)、飛行第22戦隊(キ84 四式戦闘機「疾風」)など、新鋭機を装備する飛行部隊の編成にあたっては、飛行実験部の部員を戦隊長や基幹幹部とすることもあった。 大戦末期の本土防空戦時には、飛行実験部戦闘隊を「福生飛行隊」と通称し第10飛行師団指揮下の臨時の防空飛行部隊として投入している。
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飛行実験部
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上述の経緯により、1939年(昭和14年)12月1日に陸軍航空本部隷下に新設された組織が飛行実験部(陸軍航空本部飛行実験部)である。航空兵器の基礎試験は航技研が行い、実用試験と配備部隊への伝習教育を担当した。長は部長。編成当初は立川陸軍飛行場内に航技研とともに置かれていたが、1940年(昭和15年)4月1日には立川に近い東京府西多摩郡福生町(現:福生市)に新設された多摩陸軍飛行場(通称:福生飛行場、現:横田飛行場)に移転した。
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