飛行実験部とは? わかりやすく解説

飛行実験部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 00:48 UTC 版)

陸軍航空審査部」の記事における「飛行実験部」の解説

飛行実験部実験隊業務引き継ぎ、また拡充されたものが飛行実験部(陸軍航空審査部飛行実験部・実験部)であった構成戦闘隊・偵察隊爆撃隊・攻撃隊・特殊隊(実験隊時代臨時班だったものを常設化したもの)に拡充され、のちにロケット機・ジェット機担当する兵隊編成された。これらには旧整備班改編した整備隊が各隊置かれ、旧実験隊と併立していた旧整備隊は廃止されている。さらに飛行実験部自体下部班として細分化された武装班・測定班・通信班置かれている。 飛行実験部実験隊時代引き続き、テスパイには荒蒔義次・石川正・岩橋三・木村清・坂川敏雄・坂井菴黒江保彦神保進片倉恕・伊藤武夫梅川三郎田宮海・佐々木勇などや、整備隊には西村敏英・坂井雅夫・刈谷正意などといった帝国陸軍のみならず陸海軍航空部隊におけるトップ・クラス人材たる空中勤務者・地上勤務者が多方面から選抜され部員として配属されていた。また、当時陸軍航空部隊が育成していた航空エンジニアとテスパイを融合した「エンジニア・パイロット」たる技術将校(航技)として、畑俊八・来栖良なども配属されている。 独立飛行47中隊キ44 二式戦闘機鍾馗」)、飛行68戦隊キ61 三式戦闘機「飛燕」)、飛行22戦隊キ84 四式戦闘機疾風」)など、新鋭機を装備する飛行部隊の編成にあたっては、飛行実験部の部員戦隊長基幹幹部とすることもあった。 大戦末期本土防空戦時には、飛行実験部戦闘隊を「福生飛行隊」と通称し第10飛行師団指揮下の臨時防空飛行部隊として投入している。

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飛行実験部

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陸軍航空審査部」の記事における「飛行実験部」の解説

上述経緯により、1939年昭和14年12月1日陸軍航空本部隷下新設され組織が飛行実験部(陸軍航空本部飛行実験部)である。航空兵器基礎試験航技研が行い、実用試験配備部隊への伝習教育担当した。長は部長編成当初立川陸軍飛行場内に航技研とともに置かれていたが、1940年昭和15年4月1日には立川に近い東京府西多摩郡福生町(現:福生市)に新設され多摩陸軍飛行場通称福生飛行場、現:横田飛行場)に移転した

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